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知る人ぞ知る愛媛の観光地

【今治編】小さな島の貴重な戦時遺産「小島砲台」

2016.01.01 知る人ぞ知る愛媛の観光地

画像:小島地図

しまは、今治市波止浜から海上500mに位置する周囲約3kmの小さな島である。人が住み始めたのは元禄年間(1688~1704)で、来島から8世帯が移り住んだと言われ、今も10人程が暮らす。
ひっそりとしたこの島に“知る人ぞ知る”観光スポットがある。それは、明治30年代に造られた軍事要塞「小島砲台」だ。
100年以上経った今も大半の建造物が往時のまま残っており、まるで時間が止まったかのような異空間がそこにある。
今回は、全国的にも貴重な戦時遺産が多く残る小島を紹介する。

小島の遠景

 

小島砲台の歴史

日清戦争以降、帝政ロシアが中国大連に総督府を置き、旅順に軍港を造るなど南下政策を強めるなか、来たる日露戦争に備え、国防力の強化が至上命題となっていた。
こうした時代を背景に、瀬戸内海の交通の要衝、来島海峡にある小島では、明治31年の陸軍省告示により、30万円(当時)の巨費を投じて、翌32年から軍事要塞の建造工事が始まった。島の南部、中部、北部の順に砲台が築かれ、合計16門の大砲が設置された(明治35年工事完了)。
小島砲台にあった28cm榴弾砲りゅうだんほうのうち2門は、日露戦争(明治37~38年)において、実際に旅順に運ばれ、同地攻略に大いに力を発揮したと言われている。
その後、佐田岬半島の先端部に豊予要塞が完成したことで、小島砲台は必要がなくなったため、一度も実戦に使われることなく、大正15年12月に運用廃止となった。昭和2年には、地元波止浜町(現今治市)に6,442円で払い下げとなり、以降、公園として整備が進められた。

 

28cm榴弾砲(レプリカ)と石垣

波止浜港を出港し、わずか10分で小島に着く。島に近づくと、まず目を引くのが28cm榴弾砲だ。これは、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」(平成21~23年放映)の撮影のため、当時の資料をもとに忠実に復元されたものである。撮影後、松山市を経て今治市が譲り受け、ゆかりの地である小島に設置された。
船着場周辺の石積みの岸壁も必見である。“布積ぬのづみ”※1)の岸壁は、軍事要塞となる際に造られたもので、2度の芸予地震(明治38年、平成13年)でもビクともしていない、極めて頑丈な造りとなっている。
そこから左右に目をやると、石の積み方が“谷積たにづみ”※2)に変わるが、これは昭和に入って海岸道路を造る際に積まれたものである。

※1  各段の高さをそろえて積み、横目地が水平に一直線となる石の積み方。
※2  一定の谷ができるように石を斜めにして積む方法。

28cm榴弾砲と布積みの岸壁

 

南部砲台エリア

船着場から山へ遊歩道を進むと、まず最初に南部砲台に属した発電所がある。この発電所は石炭火力で、島の南西端にある南部探照灯(サーチライト)のために設けられた。建物の中はがらんとしているが、発電機やボイラーが設置されていた跡がよくわかり、往時を偲ばせる。
さらに1~2分ほど歩くと、砲座(砲の台座)がある。南部砲台は、馬島から糸山までの来島海峡を防衛対象とし、軽砲2門(12cmカノン砲)が設置されていた。砲座の下にある地下室では、砲弾を装填する前の最終作業が行われていたと言う。

南部砲台・発電所

 

椿の並木道と弾薬庫

南部砲台から中部砲台へと続く遊歩道は、数千本もの椿の並木道になっている。3月頃には、椿の赤い花が一面に咲き乱れ、見る者を魅了する。
その道を進んだ、南部砲台と中部砲台のほぼ中間地点に弾薬庫がある。弾薬庫には、その名の通り砲弾や火薬など危険度の高い軍用品が貯蔵されていた。敵艦の砲撃を受けにくくするため、山の傾斜面を掘り下げた窪地に造られており、建物だけでなく周辺構造物も堅牢な造りとなっている。現在、屋根は朽ち落ちているが、レンガのアーチなど当時の最新技術を駆使した構造に注目である。

弾薬庫

 

中部砲台エリア

弾薬庫から15分ほど歩き、山頂付近に近づくと、小島砲台の最重要拠点である中部砲台が見えてくる。ここには、小島砲台の主砲である28cm榴弾砲が6門設置されていた。28cm榴弾砲の射程は約10kmで、360度旋回が可能だったため、200kgを超える榴弾をどの方向にも撃つことができた。
中部砲台は、小島砲台の中枢だけあって、砲座だけでなく、地下室や兵舎なども他の砲台(南部、北部)と比べて一回り大きい。山頂にある司令塔では、測遠機で標的までの距離や方位を測り、砲手に指示をしていたと言う。

 

360度の大パノラマと世界唯一の航行ルール

標高100mの山頂に立つと、360度の大パノラマが広がる。しまなみ海道の来島海峡大橋と多島美、天気が良ければ石鎚山も望めるなど、すばらしい眺望が楽しめる。特に、暮れなずむ夕景は絶景である。

山頂からの眺望

小島に沿うように流れる西水道と中水道は、国際航路に指定されており、タンカーやコンテナ船、フェリーなど多種多様な船舶が1日1,000隻以上も往来している。瀬戸内海随一の難所と言われる来島海峡には、船舶の安全航行のため、世界唯一の特殊な航行ルールが採られている。このルールは「順中逆西じゅんちゅうぎゃくせい」と呼ばれ、屈折の少ない中水道は潮の流れ通りに進み(順中)、鋭角に屈折する西水道は潮の流れに逆らって進む(逆西)。つまり、潮流の向きによって、航行すべきルートが切り替わる方式である。

順中逆西 (資料:株式会社しまなみ)

 

北部砲台エリア

小島の北東部に位置する北部砲台は、明治35年に完成し、24cmカノン砲4門と軽砲4門が配備され、西水道と中水道を防衛していた。
北部砲台はやや奥まったところにあり、中部砲台と比べると規模は見劣りするものの、当時の最新技術が用いられていた。また、興味深い裏話があり、必見スポットである。
最新技術で言えば、軍事要塞の建造工事が始まって3年後に北部砲台発電所が完成したが、天井の梁は当時としては珍しい鉄筋入りのものになっている。そのほかにも、伝声管の形・構造が変化するなど、技術の進歩を目の当たりにできる。
北部砲台は、小島砲台で唯一爆撃を受けた場所だ。爆撃と言っても、小島を標的とした航空機による爆撃演習(大正15年8月15日~1週間)で、新聞でも報じられた。演習では兵舎付近と砲座に2発が着弾し、兵舎には爆発時に飛び散った無数の破片の跡が、また、砲座には直径約1mの大きな穴が残っている。
着弾2発という不本意な結果を受け、現場の責任者は爆弾を仕掛けて爆破し、その写真を演習成果として大本営に報告したそうだ。砲座周辺の石積みが、広範囲にわたって崩れているのは、その時の爆破跡だと言う。

 

来島海峡の自然を体感

北部砲台から道なりに山を下ると、船着場まで続く海岸道路にたどり着く。波除けもないため、日本三大急潮の1つである来島海峡の荒々しい潮流を間近で見ることができる。また、航行中の大型船舶をここまで間近に見ることができるスポットも他には滅多にないだろう。
また、小島には「風の顔ランド」というキャンプ場(要予約)がある。ここは、小田和正やカールスモーキー石井、徳永英明などのミュージシャンの協力により、子どものための自然体験施設として平成6年に整備された。砂浜はもちろん、調理場や温水シャワーなども完備しており、シーズン(4~10月)には多くの子どもたちで賑わう。

海岸からの眺望

 

おわりに

ここ百年余りの間に時代は大きく変わったが、住民や地元行政の熱心な保存活動により、小島砲台は変わらぬ姿を保っている。今回、紹介した場所のほかにも、多くの遺構が良好な状態で残っている。
随所に案内板や説明板があり、1人でも楽しめるようになっているが、より深く楽しみたい方は、観光ガイドとともに見学することをお勧めする。
皆さんも、貴重な戦時遺産が残る小島に、是非足を運んでみてはいかがだろうか。

【アクセス方法】、【観光ガイド連絡先】

(土岐 博史)

調査月報「IRC Monthly」
2016年1月号 掲載

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