愛媛の島シリーズ第3回は、宇和島港の西約28km、宇和海に浮かぶ日振島周辺を紹介する。
島の概要
島は北西から南東に細く延びており、俯瞰すると鳥が羽を広げて飛んでいる形に見える。島の北には属島の沖の島、竹ケ島、東には横島が隣接、さらに南方約5kmには、がある。
島のほとんどが急峻な地形で、平地は少なく、切り立った崖が多い。島の周りは、磯釣りのポイントとして知られている。
島には、明海・喜路・能登の3つの集落がある。
藤原純友の乱の舞台
明海の港から山を登ること10分、藤原純友の砦があったと言われている島の高台「城が森」に、藤原純友の記念碑が京の方向を向いて建てられている。
もともと藤原純友は朝廷から伊予の掾(国司の三等官)として派遣された役人であり、海賊鎮圧にも従事していた。しかし、任期が終わっても京には帰らず、朝廷に反旗をひるがえし、日振島を根拠地にして海賊大将軍を名乗った。いわゆる「藤原純友の乱」である。
一時は淡路(兵庫県)、讃岐(香川県)や大宰府などを襲撃するほどの勢いがあったが、朝廷は東で反乱を起こしていた平将門を討伐すると、西の反乱鎮圧を本格化させ、乱は小野好古らによって鎮圧された。
1976年には平将門と藤原純友の生き様を描いたNHKの大河ドラマ「風と雲と虹と」が放送された。緒方拳が演ずる藤原純友は貴族のことを、「国家と言う大木に巣食うシロアリ」と呼んだ。一般的には藤原純友は処遇に不満を持って朝廷に歯向かった西の海賊の親分とされているが、朝廷の腐敗した体制に毅然と立ち向かった武士の1人との見方もできるのではないだろうか。
島民による藤原純友の記念碑の保全
数年前までは、記念碑の周りには木が生い茂り、高台から景色を眺望することはできなかった。現在では、地元ボランティアが木を伐採したため、記念碑からすばらしい景色を眺めることができる。また、記念碑の周りには桜を植樹し、林道の小石や枯葉を地元小学生が拾い集めるなど、島全体で記念碑の保全に努めている。
「財宝伝説」
島には代々語り継がれている伝説がいくつかある。その1つに藤原純友が隠したという「財宝伝説」がある。
財宝が隠された場所は、諸説あるようだが、日振島もその中の1つとされている。地元の方に財宝のことを尋ねると「古銭は出てきたことがあるが、あまり詳しいことは分からない」と、半信半疑のようだ。
「海蝕洞」や「奇岩」
島の周りには、長年にわたり波によって浸食されてできた「海蝕洞」や風によって変わった形に削られた「奇岩」が点在する。
喜路には、小船が通り抜けられそうな大きさの海蝕洞があり、雄大な自然の力を感じることができる。
能登の集落の裏側にある岩礁地域からは、九州の佐伯や臼杵がすぐ近くに見える。この島が、九州、瀬戸内圏内の各要所を押さえるための拠点であったことを改めて感じることができる。
海の男のまかない飯「鯛めし」
愛媛を代表する郷土料理である宇和島鯛めしは、日振島を拠点にしていた海賊が考え出したとされている。アジを使ったものは「ひゅうがめし」と呼ばれている。
仲間たちと舟の上で魚の刺身と茶碗酒で酒盛りをした後、その酒の残った茶碗にご飯をつぎ、たっぷり醤油を含ませた刺身をのせ、混ぜ合わせて食べたのが始まりとされる。
現在は、新鮮な鯛の身を三枚におろし、薄くそぎ切りしたものと、醤油、みりん、生卵、ごま、だし汁で調味したタレを混ぜ合わせ、そのタレごと熱いご飯にかけて食べる。生の鯛を使った、全国でも宇和島にしかない独持な食べ方となっている。
島のくらし
1910年( 明治43年) には2,386人いた住民も、2010年(平成22年)の国勢調査では343人にまで減少している。また、65歳以上の高齢者は3割を超え、人口減少と高齢化は大きな問題だ。
しかし、明るい話題もある。2011年に8人にまで減っていた小学生が、2013年には15人になった。保護者に話を聞くと、「自然が豊かで子育てするには最高の環境」、「島民全員で子供を見守ってくれるので、安心して外で遊ばせることができる」と言う。実際、島を散策していると、子供が1人で三輪車に乗って遊んでいた。初対面の私にも「こんにちは」と笑顔で声をかけてくれた。
島の主要産業は漁業で、タイやハマチの養殖のほか、ヒジキや天草の収穫も盛んである。漁協単位での天草の収穫高は、国内トップクラスだ。また、近年では、潮通しの良い豊後水道の利点を活かしてマグロの養殖も行われており、県内有数のマグロ養殖地となっている。
宇和島と日振島を結ぶ主な交通手段は1日1便の普通船と1日3便の高速船があり、行き来に不自由することはない。しかし、どちらも車を載せることはできないため、島民が車を購入したときなどは、特別に貨物としてフェリーで運搬するそうだ。
集落ごとに農協の店舗があり、日常生活を送る上では特に不便は感じないそうだ。加えて、インターネットショッピングを利用すれば、本土と変わらない生活を送ることができると言う。
不便なことを聞くと、「島内には歯医者がいないので、宇和島まで行かなくてはならない」「鮮魚を売っているところはないので、自分で獲らないといけない」などの声があった。
沖の島のハマユウ
沖の島は周囲200mの小さな島で、天然記念物のハマユウが群生する。7~8月のシーズンともなれば5千株もの白い花が咲き乱れ、島は良い香りに包まれるそうだ。
現在群生するハマユウも一時は害虫により壊滅的な打撃を受けた。地元住民や宇和島市の中学生による害虫駆除や、苗の移植、ごみ清掃など徹底した保護活動によって復活し、現在の姿がある。
磯釣りの名所 御五神
絶好の磯釣りスポットとして、全国にその名を知られているのが、御五神だ。御五神は御五神島とその周辺の40程度の磯からなる。御五神島には、昭和30年代までは、60人ほどが住んでいたが、昭和40年に無人島となった。
休日になると、四国一円のみならず関西からも釣り客が訪れる。御五神のどの磯に乗れるかというのは、当日の朝のくじで決まるため、同じ磯に乗れることはまれである。ベテランの釣人になれば、磯の特徴が頭に入っており、名前を聞いただけで、そのポイントが頭に浮かぶそうだ。
御五神は、40cmオーバーのグレや、1m級のブリなど大物が狙えることが魅力で、月に何度も足を運ぶ釣人もいる。
島のオススメ
日振島には4つの民宿がある。拠点とする民宿を決め、そのオーナーに相談すると、季節に応じてプランを提案してもらえる。春は、アサリ、ニナ貝、つわぶきの収穫、夏は海水浴、キャンプなど豊かな自然が訪れた人を楽しませてくれる。
特にお勧めなのが、磯釣りである。他県の人に、「愛媛の人がうらやましい。日振、御五神は日本一の漁場だ」「老後は、ここに別荘を持ちたい」と言われたことがある。
歴史に思いを馳せながら散策するのも良し、海のレジャーを楽しむのも良し、日振島を訪れてみてはどうだろうか。
(友近 昭彦)