特定分野で世界一あるいは日本一のシェアを誇る製品を持ち、発展を続けている愛媛の事業所を紹介する「愛媛が誇る世界一、日本一企業」シリーズ。
第9回は、「乗せかえ装置付ストレッチャー」の生産日本一を誇る福祉・介護機器の総合メーカー、株式会社いうらを訪ねた。
乗せかえ装置付ストレッチャーで日本一
当社が日本一の生産を誇るのが、「乗せかえ装置付ストレッチャー」。ストレッチャーとは患者用搬送機のことであるが、当社の製品の特長は「繰り出しベルト」が付いている点にある。
介護や医療の現場では、寝たきりのお年寄りや患者の移動が頻繁に起こり、ストレッチャーが利用される。その際に、抱きかかえて乗せかえるとなると、介護者にとっては大きな負担となり、患者には激しい動きで患部に悪影響を与える危険性もある。しかし、当社の乗せかえ装置付ストレッチャーならば、繰り出しベルトを体の下に敷き、ハンドルを回してベルトを送り出したり巻き取ったりすることで、体を激しく動かすことなく乗せかえることができる。力の弱い女性や高齢者でも、抱きかかえることなく介護ができるというスグレモノである。
乗せかえ装置付ストレッチャーは、当社が独自に開発し特許を取得している“オンリーワンの商品”であり、国内シェアは100%である。
ちなみに、現在、「ストレッチャー」の当社の売上に占める割合は約1割。商品別の売上構成比では、「車椅子用昇降機」が最も高い。車椅子用昇降機については、「詳しいデータはないものの、おそらく国内シェア3~4割はある」ということであり、これも日本一のシェアを持っているとみられる。
福祉・介護機器の分野で、国内ナンバーワンのシェアを誇る商品を複数持ち、専業として百名を超える従業員を擁するメーカーは、全国的にみても当社だけだろう。
発明好きの少年、技術開発一直線
当社の創業者である井浦忠会長は、福島県で農家の次男として生まれた。少年時代はスポーツが苦手で遊び相手も少なかったという。そのため空想し、モノをつくるのが趣味であった。スポーツが苦手な分を、「モノをつくることで見返してやりたい」という意地もあり、モノをつくる“発明”にのめり込んでいく。11歳で草鞋(わらじ)を編む機械を考え出したほどである。
尋常小学校卒業後、農業の手伝いなどをしていたが、戦後、あらためて学校に行こうと決心し、20歳を過ぎてから定時制高校に通う。卒業後、何とかして機械の設計や開発をしたいと考え、大手農機メーカーの井関農機に就職。松山の本社・研究部に配属され、頭角を現していく。
しかし、出世に伴い、「管理職では技術開発に没頭できない。生涯、技術開発の場に身をおきたい」との思いが強くなり、同社を退社。1973年に(有)井浦設計製作所を設立する。
転機は母親からの電話と社員の言葉
独立後は、2次下請として農機部品の製造を行っていたが、78年、転機が訪れる。父親が病気で倒れ、母親から「父ちゃんの介護で疲れてしまって・・・」という電話を受ける。この時、母親の負担を軽くするために、寝たきりの父親を簡単に寝返りさせることのできるベッドを自分で作ろうと決心。そして考え出したのが、「ねがえりベッド」である。これが福祉機器開発のきっかけとなった。
農機と福祉機器、一見共通する点はないように思えるが、そこは“発明家”である。会長は「農機は人間が一人で取り回す機械、その点では福祉機器も同じ。扱う対象が作物であるか人間であるかが違うだけ。先入観にとらわれていては新しいアイデアは出てこない」と笑う。
「ねがえりベッド」開発以降、福祉機器の開発に注力していくが、売上の大半は依然として農機部品の下請の仕事に依存している状態であった。しかし、下請では、ある程度の仕事量は確保できるものの、今後の大きな発展は望めない。このまま下請を続けていくか、それとも自社製品に特化していくか、決断に迫られる。そんな時に会長の胸に響いたのが、「下請でも自社製品でも苦労するのは同じ。同じ苦労なら自社製品で勝負してみては」という、ある社員の言葉。これに勇気づけられたこともあり、脱下請を決意。83年、自社製品による福祉・介護機器の専門メーカーとして歩み始める。
独創的なアイデアを次々と商品化
福祉・介護機器の専門メーカーとなってからは、次々に新商品を開発していく。ストレッチャー、リフト、車椅子など、どれも独創的なアイデアが盛り込まれている。
例えば車椅子では、一般的なものは車輪が邪魔になって横からの乗り降りはできない。しかし、当社の「横乗り車椅子/ラクーネ」では、テスリの部分を持ち上げると車輪が後方へ移動する。ベッドの横に並べて「トランスボード」を開くことによって、横からの乗り降りがスムーズにできる。また、「足受けステップ」がスイングアウトで左右に開くため、正面からの乗り降りもしやすい。もちろん安全面の配慮も万全で、テスリを戻すとロックがかかる仕組みになっている。
そして、現在開発に力を入れているのが、ボタン一つでソファ状態になるベッド。背中部分が起き上がるだけでなく、足元部分が引っ込むため、ベッドではなくソファの大きさになる。そのため部屋のスペースが広くなり、動きやすくなる。また、セットの車椅子にも工夫が凝らされており、組み合わせて使用すると、足が悪くても立ち上がることなく、車椅子に乗ることができる。例えば、背もたれの部分が開くことで寝ている人が一人で後ろから乗れるものや、介護が必要な場合でも介護者がほとんど力を使わずに乗せることができるものなど、あらゆるケースを想定したものが揃っている。
「ベッドがベッドのままで、ずっとそこにあるから寝たきりになってしまう。ベッドをソファにするこの商品を広めることで、世界中から寝たきりのお年寄りをなくしたい」と、会長は熱く語ってくれた。
新たな技術も開発中
当社では、オリジナル「商品」はもとより、オリジナル「技術」の研究・開発にも取り組んできた。その一つに「軸肥大加工法」がある。これは、金属の軸の中間を肥大させ、「つば」部分をつくるというものである。素材の軸の両側を挟んで傾けながら回転させ、同時に圧力をかけて成形する技術であり、加工がしやすく素材の強度が低下しないという特長がある。
従来、金属の軸の中間につば部分をつくるには、つば部分を残すように切削するか、溶接するかのどちらかであった。しかしこれらの方法では、切削くずの発生や強度上の問題があった。当社の“発明”は、まったく新しい発想で、これらの問題を同時に解決した。まさに画期的な技術であり、国内と米国で特許も取得済み。当社では、「特許に守られていないものは作っても売れない」として、積極的に特許を取得している。また同技術は、「愛媛県アクティブ・ベンチャー支援事業」「中小企業地域新生コンソーシアム研究開発事業」にも選定され、2003年12月には、同技術についての論文に対して愛媛大学から会長に博士号が授与された。
現在、同技術は当社内にある(有)井浦忠研究所で実用化に向けての研究が続けられている。井浦洋所長は、「できるだけ多くのフィールドで技術を活かしたい。地域の産業や雇用に貢献できるような事業にしたい」と意気込んでいる。
営業戦略もオリジナル
独創的な研究・開発を続けている当社であるが、営業面でも独自の制度をつくっている。横畑幸生社長は、「福祉・介護機器を販売する際には、介護者や要介護者の負担がどれだけ軽減され、生活がどう変化するかについて、的確なアドバイスが必要になる」と語る。つまり、営業担当者の提案力が求められるわけだ。営業担当者のスキルアップと販売ノウハウの共有を図るために導入したのが、「得意機種制度」。
制度の仕組みは、毎期の初めに各営業担当者が商品別販売実績で1位を目指す商品を申告する。そして、その機種を重点的に販売すると同時に効果的な販売方法をマニュアルとして作成する。1年後、実際の販売実績が1位になった人を「商品別トップ営業マン」に認定、奨励金が支給される。トップ営業マンの作成したマニュアルは当社の各営業所に回覧され、トップ営業マンは社内講師も務める。
同制度は3年目に入ったが、「営業のレベルアップはもちろん、社内で競争意識が生まれ、営業現場のモチベーションアップにもつながっている」と社長は手ごたえを感じている。
これまでの成長を振り返り、「独自の商品開発とニッチ市場を開拓したことがポイント」と社長は語る。品質管理にも力を入れており、ISO9001の認証を取得するなど、ユーザーからの信頼は厚い。この信頼に応えるため、これからも営業担当者の持ち帰る“ユーザーの生の声”を独自の商品開発に活かしていく方針である。
高齢者や身体障害者を支える介護、その介護を支える専門メーカーとして、さらなる飛躍を期待したい。
(松尾 明彦)
【会社概要】
代表者 | 代表取締役会長 井浦 忠 代表取締役社長 横畑 幸生 |
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本社所在地 | 温泉郡重信町南野田若宮410番地6 |
資本金 | 7,000万円 |
年商 | 約17億円 |
従業員数 | 116名 |
URL | www.iura.co.jp |
【会社沿革】
1973年 | 松山市に(有)井浦設計製作所設立 |
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1978年 | 福祉機器の開発に着手 |
1983年 | 福祉・介護機器の専門メーカーとなる |
1987年 | 株式会社に改組 |
1991年 | 日経優秀製品サービス賞優秀賞受賞 |
1994年 | (株)いうらに社名変更 |
1995年 | 重信工業団地内に本社工場建設 |
1996年 | ISO9001取得 |
1998年 | 特許庁長官賞受賞 |
1999年 | 平成11年度四国地方発明表彰実施功労賞受賞 |
2002年 | 研究部門を分離し、(有)井浦忠研究所を設立 |
2003年 | 愛媛大学から井浦忠会長に博士号 |