2000年に開通した松山自動車道の内子五十崎ICから奥伊予街道(国道197・320号線)を経て北宇和郡松野町に至ると、そこが『森の国』である。松山から車で約2時間、だれもが思っていたより道が整備されていて、30分は早く着いたと感じるほどアクセスがよくなっている。『森の国』は鬼ケ城山系の北側に位置する鬼北地方の一角にあり、地域には四万十川に注ぎ込む清流広見川と目黒川が流れている。
地域のイメージを『森の国』とした取り組みは、89年の滑床レクリエーション施設整備事業から始まった。そして91年4月にオープンした「森の国ホテル」の成功が、この愛称を広める大きな原動力となった。
今回は「森の国ホテル」のオープンから10年が経過し、すっかり『森の国』のイメージが定着した松野町と『森の国』を支えるスタッフ達の取り組みを紹介したい。
『森の国』は施設の名称から地域一体の名称に
小さな町が起こした「森の国ホテル」の成功は、県内のみならず全国にも大きな反響をもたらした。従来、市町村が運営する宿泊施設は国民宿舎等の和風の施設が中心であったが、「森の国ホテル」以後は、ホテル形式の施設建設が相次いだ。
松野町は「森の国ホテル」に続き、「森の国ロッジ」「目黒ふるさと館」「森の国ガラス工房」そして水族館やレストラン、特産品売場を併設した「虹の森公園」と、次々に拠点施設を設置した。特に97年にオープンした「虹の森公園」は、四万十川に棲息する魚類を集めた水族館やガラス工房が人気を呼び、初年度には25万人の集客があった。こうして開設された施設が相乗効果を発揮して、地域への入込み客数は年間10万人から35万人へと増加し、『森の国』の定着化につながった。町は97年には『森の国』を商標登録している。そして現在は、「森の国ドーム(屋根付ゲートボール場)」や「森の国診療所」と公共施設にも『森の国』が冠せられ、地域一帯が『森の国』イメージに統一されるまでなっている。
5億円の売上と70人の雇用を実現
「森の国ホテル」を建設するに当たって、町は売上1億円の企業を作ることを目標としていた。しかし、「森の国ホテル」は1年目にあっさりと1億円を突破した。そして次々と造られた営利施設の売上合計額は、10年目の2000年度には548百万円となり、収支についても全体では採算を確保している。
各施設は地元から農産物やサービス等を調達し、地域への経済波及効果を高めることに力を入れている。地元調達の主なものをみると、青空市の65百万円、ホテル・ロッジ・レストラン等の56百万円など食材、光熱費、消耗品等の総額は288百万円で、総売上額に占める割合は52.6%となる。とりわけ青空市やホテル等が調達する農産物は90百万円と推定され、松野町の農業粗生産額750百万円(11年度)の12%に相当し、地元農家にとっては地域内に大きな販売先ができたこととなる。
また、雇用面では施設を運営する(財)松野町観光公社が70名を超える社員を有するまでになり、特にUターン者が約半数、Iターン者が3名と若者を呼び戻したり、呼び寄せる受け皿となっている。
売上額と雇用数からみれば、観光公社は町内で5本の指に数えられる企業体である。
地域資源や環境保全を大切にする
『森の国』の成功は、その企画・コンセプトの確かさと、民間企業に劣らない質の高いサービスや営業努力の成果である。
「森の国ホテル」を例に企画・コンセプトをみると、滑床渓谷というかけがえのない資源を保護し、環境を保全するという基本姿勢が貫かれている。
そのため、開発規模を最小限に止め、ホテルに至るアクセス道路は大型バスが通れない、ホテル前の駐車場スペースも広くはないなど、お客様にとっては全てが便利の良いホテルというわけではない。しかし、開業してみると、そうした便利ではないことに対する不満よりも、上高地の帝国ホテル風の外観や直径50cmを超すスギ丸太の柱と暖炉のあるラウンジ、本格的なフランス料理を手頃な価格で提供するサービスなどの本物志向が新鮮なものとして受け入れられ、マスコミ等にも頻繁に取り上げられ人気を得た。そして、何よりも滑床渓谷という美しく静かな大自然の中でゆったりと時間を過ごすことができ、訪れた人達の心や体を癒してくれるホテルとして高く評価されるようになり、多くの人達の支持を得ることにつながっている。
民間に劣らない企業努力でサービスの向上と営業強化を図る
ホテルなどの現場は、当初、マネージャーやセールスマン、フロント接客係など慣れないメンバーが手探りで行うサービスの積み重ねであった。
そうしたメンバーを引っ張り、観光公社を支えてきたのが、ホテルと虹の森公園の支配人を務めている岡田春喜さんと観光公社事務局長の松野良哉さんである。2人は「公営施設だからこんなもの、という甘えは許されない」と常に現場に最良のサービスを提供することを求め続けてきた。
また、「森の国ホテル」は、公営施設としては珍しく専任の営業担当者を配置しており、精力的な営業活動を展開している。岡田支配人と共に営業部門を引っ張るのは、98年に名古屋からやって来た営業マネージャーの隅田深雪さんである。隅田さんは、だれもが笑顔に引き込まれ、そしてだれもがしゃべり負けてしまう(?)ほどの行動的な女性である。
この3人のうち岡田さんはUターン、松野さんと隅田さんはIターンと、共に役場出身ではなく民間企業に勤めた経歴を持つ。「森の国ホテル」は、こうしたメンバーに支えられ、民間ホテルに劣らない質の高いサービスと、「不便さを楽しむ気持ちで来てください」と便利な日常生活では味わうことのできないゆったりとした時間を楽しんでもらうことを自信を持って勧める営業努力で、70%を超える客室稼働率や30%を超えているリピーター率、60%にもなる県外客比率など、すばらしい実績をあげているのである。
広域連携の「るーらるぽけっと」も誕生
この3人は、小さな観光施設が生き残りを図るために「るーらるぽけっと」という愛媛と高知にまたがる広域のネットワークを立ち上げる原動力ともなったメンバーでもある。
るーらるぽけっとは、当初ホテルや特産品センターの6施設からスタートし、現在は8施設と仲間を増やし、共同で情報発信したり、利用者にお互いの施設を紹介し合ったり、共同の料理フェアや従業員のレベルアップのための研修に取り組んだりしている。
民間施設と公営施設が手を結んで活動している全国的にも数少ない事例であり、他の地域からも注目されている。
市町村合併でエリアが拡大しても輝き続けよ
『森の国』が定着した松野町は、今、市町村合併のうねりに直面している。
鬼北地方の三間町、広見町、松野町、日吉村の4町村は宇和島市などと合併するか、あるいは鬼北4町村で新しい町を形成するか、検討の真っ最中である。『森の国』を支えてきた観光公社は自らの努力もさることながら、やはり松野町という行政と一体となって、ここまで実績をあげてきたわけで、観光公社にとっては、その基盤となる「町」がどうなるかという不安は拭いきれないであろう。これまで松野町イコール『森の国』であったものが、行政区域が広がることで『森の国』のイメージが希薄になるのではないかという懸念があることはまちがいない。しかし、今後のやり方次第では、『森の国』の領域が、合併による行政区域の拡大に伴って、さらに広がっていくという期待も一方にはある。
いずれにしても、観光施設や地域間の競争がますます激しくなる中で、『森の国』がこれからも発展していくためには、これまで以上のサービスや営業努力が求められようが、常に地域資源や環境を大切にして展開してきたこだわりを失わない限り、これからも『森の国』は輝き続けることだろう。
(黒田 明良)