香川県豊島(てしま)(土庄町)に不法投棄された約51万トンの産業廃棄物と汚染土など約16万5千トンの合わせて約67万5千トンを無害化処理するため、香川県が西隣の直島に造った中間処理施設が、今年9月から本格稼動し始めた。さらに、無害化処理された溶融スラグから金属を抽出する有価金属リサイクル施設や溶融飛灰再資源化施設も来年には操業を開始する。
瀬戸内に浮かぶ美しい島の豊島、直島は、産業廃棄物の不法投棄という負の遺産を背負いながらも、いよいよ英知を結集した循環システムが稼動し、産業廃棄物の再資源化という未知の次元に踏み出そうとしている。
豊島は緑豊かな島
豊島は、昭和の合併で小豆島の土庄町と合併し、現在の行政区は小豆郡土庄町豊島である。高松と豊島を直接つなぐ航路はなく、小豆島の土庄港を経由することとなる。所要時間は船の乗り継ぎを含めておよそ1時間30分である。
豊島は、戦後は農業が盛んで早くから乳牛が導入され「ミルクの島」と呼ばれた時代があった。また、林業や漁業もさかんで緑も多く、タコやアサリなどの魚介類にも恵まれ、砂浜には水鳥などの野生生物も数多く棲みつく白砂青松の豊かな島であった。
自分たちの島は自分たちの手で守る
緑豊かな豊島を揺るがしたのは、1978年から13年間にわたり、住民が強く抗議したにも係わらず続いた、わが国最大級の有害産業廃棄物の不法投棄とその処理を巡る、いわゆる豊島問題であった。
豊島問題は、悪質な事業者が逮捕され「有罪判決」が下されたが、事業者に50万トンを超える有害廃棄物の処理能力はなく、大きな課題が残った。豊島住民は1993年に国に公害調停を申請し、香川県の「廃棄物の認定の誤り」と「指導監督の怠り」を問いただし、金銭による補償ではなく、美しい豊島の原状回復と二度と同じ過ちが起こらないようにするための徹底的な原因解明を求めた。結成された豊島弁護団の弁護団長は、中坊公平氏が務めた。
2000年6月の最終合意に至る7年間、住民は県庁前に立って抗議し、広く県民に事件を知ってもらおうと香川県内100ヵ所で座談会を開催するなどの活動を続けた。わずか1,500人足らずの島民が、長い期間にもわたって、粘り強い活動を続けることができたのは、自分たちの島は自分たちで守り、子孫に美しい島を取り戻したいという堅い決意からであった。
合意された最終調停の内容は、廃棄物及び汚染土壌を2016年度末までに豊島から搬出すること、豊島住民に長期にわたり不安と苦痛を与えたことを認め心から謝罪の意を表すこと、豊島住民と香川県による豊島廃棄物処理協議会を設置することなどであり、事業の実施に当たっては、技術検討委員会の検討結果に従い関連分野の知見を有する専門家の指導・助言等のもとに事業を行うなどであった。
英知を結集した産業廃棄物の処理事業
最終合意に基づいて行われる豊島廃棄物等の処理工程を簡単に説明すると次のようになる。
まず、豊島の不法投棄現場では、周囲への汚染の拡大を防止するため廃棄物をシートで被い、海域への汚染拡大を防止するため遮水壁を設置している。遮水壁によって流出を防いだ地下水や浸出水は、ポンプで汲み上げ高度排水処理施設で浄化したのち、安全を確かめて放流する。
次に、ドラム缶等の危険物が埋まっていないかなどの金属物探査が行われた掘削区域で掘削した廃棄物を、中間保管・梱包施設に運び、専用のコンテナダンプトラックに積み込む。
コンテナダンプトラックに積み込まれた廃棄物をフェリー型の専用輸送船『太陽』によって1日2回、直島に運び、直島の中間処理施設において焼却・溶融処理する。中間処理によって生じた飛灰は、三菱マテリアル(株)直島製錬所で有価金属の回収を行い、溶融スラグは土木用材料としてリサイクルする。また、中間処理の過程で発生する銅、鉄、アルミニウム等の金属についても選別・回収し有効利用する。
こうした一連の事業を香川県は、「先端技術を活用し『共創』の理念で」を合い言葉に、行政や住民など関係者が共に参加・協働し、新たな関係や価値観を創って問題解決していこうとしている。実際の処理事業には、10年を超える歳月と約500億円の総事業費を要する。
潮風が吹きぬけ静けさの漂う不法投棄現場
不法投棄現場は、豊島の西端にある。海砂の採取された窪地や土砂が採取された山間にうずたかく積み上げられ、悪臭を放った大量の産業廃棄物等も現在では、飛散や雨水の侵入を防ぐために張られたゴアテックスの灰色のシートに被われている。そばに中間保管・梱包施設や高度排水処理施設がある以外は何もなく、太陽の光を浴びてシートが銀色に光るその光景は穏やかで、とても激しい係争の原因の地であったとは思われない。
安全上の理由から掘削現場に立ち入ることはできないが、一般の視察者は「廃棄物対策豊島住民会議」が運営する資料館で不法投棄の有り様や廃棄物のサンプルを眺めることができる。専用船の積出港のそばにある資料館は、かつて住民が現場監視や集会小屋として使った古びた木造の建物であり、付近では当時の姿を残す唯一の建物である。
直島は自然と文化と産業の島
瀬戸内海の美しい自然景観を有する直島(香川郡直島町)は、豊島の西5kmに位置し、高松港から直接乗り入れる航路があり、60分で結ばれている。しかしながら、直島は岡山県玉野市の沖合い3kmにあり、四国というよりもむしろ中国地域の一部といえそうな位置にある。
直島には1917年(大正6年)に三菱合資会社(現在の三菱マテリアル(株))の直島製錬所が設立され、これを機に町は飛躍的に発展を遂げてきた。さらに1989年には福武書店(現在の(株)ベネッセコーポレーション)が直島文化村構想の一環として国際キャンプ場をオープンし、その後もベネッセハウスを開設するなど、文化性の高い島としても大きく発展してきた。直島は、まさに瀬戸内の美しい自然景観と文化と製錬を柱とする産業の調和の取れた島である。
中間処理施設は情報公開が一杯
直島町は、公害調停の最終合意に至る2ヵ月前の2000年3月に県の提案である処理施設の受入を表明した。処理施設の中核となるのが、豊島から運ばれてきた産業廃棄物等を焼却・溶融する中間処理施設である。
中間処理施設には、炉体を回転させて処理対象物を安定的に供給することで溶融する国内最大規模の回転式表面溶融炉が2基整備されている。この施設の建設には、まず、ダイオキシン類を高温分解する回転式表面溶融炉と鉄や岩石などを焼却するロータリーキルン炉などの巨大な設備が組み立てられ、その後、組立てられた設備外側を建物で覆うという方式がとられている。
この中間処理施設を含めた諸施設は「香川県直島環境センター」と呼ばれ、香川県によって運営されている。センターでは、毎日、午前午後の2コースに分けて視察を受け入れ、内部の設備をガラス越しに眺められる見学コースを設けたり、インターネットで処理状況を随時放映するなど、徹底した情報公開を行い、廃棄物処理を環境教育の場として活用を図っている。
“エコアイランドなおしま”が始動
直島は、豊島産廃の処理施設の受入れを機に、循環型社会のモデル地域を目指して大きく踏み出した。具体的には、前述の中間処理施設や溶融飛灰再資源化施設、有価金属リサイクル施設の3つのハード事業と環境調和型のまちづくりを目指すソフト事業からなる“エコアイランドなおしま”プランが、2002年3月に国の承認を得、今年3月には「環境のまち・直島」を宣言した。
“エコアイランドなおしま”プランの特徴は、豊島廃棄物等の処理を行う先進的な施設もさることながら、環境教育・環境学習のフィールドづくりを目指し、エコツアーを積極的に受け入れていることにある。豊島の不法投棄現場と直島の中間処理施設を合わせた環境学習ツアー客は、中間処理施設が本格的に稼動し始めた2003年9月から10月末までの2ヵ月間に海外客も含めて4,200人にのぼり、この先も月に1,000人を超す予約がある。観光客のみならず環境学習来訪者の増加による経済効果で地域の活性化も大いに期待される。
エコタウン事業の承認地域マップ
愛媛のエコタウン構想の実現も待たれる
全国的に循環型社会の形成を目指して“エコアイランドなおしま”プランと同様のエコタウン構想の樹立が相次ぎ、既に全国19地域で国の承認を受け、事業が進められている。特に、ペットボトル等のリサイクルを促す容器包装リサイクル法や家電リサイクル法などの個別リサイクル法の施行に合わせて、各地でその処理工場などが建設され、環境ビジネスが定着しようとしている。
愛媛県でも2002年に『えひめエコランド構想』がまとめられ、家電OA機器等の総合的なリサイクル施設を核とするリサイクル事業団地などの整備計画が樹てられた。しかしながら、まだ国の承認を得られておらず、事業化は進んでいない。資源循環だけではなく、新たな産業として雇用の増加につながると期待されるだけに、事業の早期実現が待たれるところである。
今回の豊島、直島の訪問に際しては、処理事業の概要や実態を運営者である香川県の担当者と廃棄物対策豊島住民会議のメンバーの両方からうかがうことができた。
処理事業の様子を映したモニターを前に、徹底した情報公開を心掛け、二度とこのような過ちを繰り返さないと説明する行政担当者の姿と、ハンドマイク片手に投棄現場の昔の風景や公害調停の最中に県庁前に黙って立ったことなどを説明する住民会議のメンバーの姿からは、調停合意から、ようやく処理事業にまで漕ぎ着けた行政と地域住民の熱意と苦悩の一端を垣間見ることができた。
豊島問題は暗く、住民の苦痛や行政の苦悩を伴ったものであろうが、現在の豊島、直島には、行政と住民が『共創』の理念で共に解決に向けて取り組む前向きな姿がある。一刻も早く廃棄物処理事業が軌道に乗り、豊島、直島の取組みが循環型社会実現のモデルとなることを心より期待してレポートを終えたい。
(黒田 明良)