近年、人口減少や高齢化などを背景に、全国的に中心市街地の衰退や空洞化が深刻な問題となっている。
今回は、古い建物をリノベーション※して、まちの再生を図り、賑わいを取り戻しつつある北九州市小倉地区の取り組みを紹介する。
※ リノベーション…建物の改修などにより、新たな機能や、付加価値を増大させ、不動産の再生を図る取り組み。
北九州市のまちづくり事業
北九州市は九州第2の人口・経済規模を有する政令指定都市であるが、ほかの政令指定都市と比較すると人口減少・高齢化が進んでいる。また、中心市街地では事業所の福岡市への流出やテナントの撤退などにより、空き店舗・空きビルが増加している。
そこで、市は中心市街地の活性化に向けた取り組みをスタートさせ、2008年7月には小倉地区と黒崎地区が国土交通省の中心市街地活性化基本計画の認定を 受け、再開発などの都市拠点施策や空き店舗補助などによる商店街の振興を図った。しかしながら、リーマンショックによって事業所の閉鎖や統合の動きが加速 したこともあり、十分な成果を得ることができなかった。
頭を悩ませていた市は、東京の神田周辺などで数々のまちの再生に携わった実績を持ち、黒 崎地区でまちづくりに携わっていたアフタヌーンソサエティ(東京都千代田区)の代表清水義次氏に協力を依頼し、新たな取り組み「リノベーションまちづくり 推進事業」をスタートさせた。まず、清水氏から「まちづくりにおいては、指針になるものが必要」とのアドバイスを受け、清水氏が提唱していた「現代版家守」の手法を取り入れた小倉中心部の振興プランを作ることとなった。
" 家守"とは、江戸時代における長屋の大家の呼称である。家守は、単なる借家管理や家賃徴収だけでなく、借家人の生活の面倒をみたり、もめ事の仲裁を行った り、さらには、奉行所への取り次ぎを行うなど、地区のマネージャーのような存在であった。それを現代に復活させたものが「現代版家守」である。「現代版家 守」とは、行政・地域住民と連携して、空き店舗や空きビルをリノ ベーションし、チャレンジショップやスモールオフィスに転用後、その地域に起業家や事業者などを入居させ、新しい産業やにぎわいを起こして、地域を活性化 しようとする者のことである。
まちづくりの車台「小倉家守構想」
2010年7月、市は振興プランを作るために「小倉家守構想検討委員会」を立ち上げた。そ して2011年2月には、小倉地区の遊休不動産や公園・広場などをリノベーションの手法を用いて再生し、多様な都市型ビジネスを集積させて、質の高い雇用 を創出することにより、産業振興やコミュニティ再生を目指す街なか振興プラン「小倉家守構想」を策定した。空き家の再生だけでなく「まちの再生」を目指し たのである。
その間に、まちなかの魅力づくりと入居者支援を担う人材「家守」の発掘・育成を目的に「小倉家守講座」を開催した。また、2011年3月には具体的なリノベーション手法などを学ぶために一般社団法人HEAD研究会※の協力のもと「リノベーションシンポジウム北九州」を開催した。シンポジウムは参加者約200人の盛況となり、これが北九州市のリノベーションまちづくりの礎となった。
※ 一般社団法人HEAD 研究会…既存建築ストックの再生によるより豊かな居住環境の形成を目指すグループ
プロジェクト始動
構想を作るにあたり、清水氏は"実践力のある人"を委員会のメンバーにしたいとして、遊休不動産の所有者でもある商店街の中心人物などを集めた。そのなかに、最初のリノベーション物件のオーナーである梯輝元氏がいた。
梯氏は小倉地区魚町商店街で不動産業を営んでいたが、所有している「中屋ビル」はテナントが撤退し、空きビル化が進んでいた。検討委員会への参加をきっか け に、リノベーションによるまちの再生に興味を持った梯氏は、時を同じくして、縁のあった建築家嶋田洋平氏とともに、すぐに構想の実現に向けた取り組みをス タートさせた。嶋田氏は北九州市出身で東京に建築事務所を構えており、リノベーションに深い知識を持つ人物である。そして、2011年6月にはリノベー ション第1号となる「メルカート三番街」をオープンさせた。つまり、取り組みスタートから約1年という、ハイスピードで事業化されたのである。これを機 に、小倉では一気にリノベーションの輪が広がったのだが、その背景には、まちづくり事業のエンジンとなる「リノベーションスクール」という重要な仕掛けの 存在があった。
リノベーションスクール
リノベーションスクールは、"リノベーション"と"リノベーションまちづくり"を学ぶ場で ある。スクールは4日間で行われ、北九州中心市街地周辺に実在する遊休案件を題材にリノベーション事業計画を立案する。最終日には「スクール後に実事業化 させること」を前提に公開プレゼンテーションが行われる。受講生は10名程度のユニットに分かれ、各ユニットには2名程度の専属ユニットマスターがつき、 計画立案を手助けする。ちなみに、ユニットマスターは全国各地でリノベーションまちづくりの実践者として活躍している人物であり、彼らと意見交換できる場 としても非常に魅力あるスクールである。
受講期間中に、エリアや対象案件の読み取り方・見立て方、事業計画や事業収支の組み立て方、プレゼンテーションの技術などを学ぶことができる。これらを通して受講生はその知識をそれぞれの地域や業界でまちづくりの実践に活かせるようになるのである。
スクールは年2回開催されており、現在(2014年4月時点)までに計6回開催された。受講生は累計300人を超え、回を追うごとに受講希望者が増加している。不動 産関係者だけでなく、行政や商工団体、金融関係など異業種の人が全国各地から集まり、なかにはすでに各々の地域でリノベーションまちづくりに取り組んでいる受講生もいる。ただ、残念なことに四国からの参加者はまだいないそうだ。
スクールの運営は、2012年4月に発足した地元の産官学連携任意団体「北九州リノベーションまちづくり推進 協議会」が、市から委託を受けて行っている。スクールは、民間主体の官民連携の事業であり、行政はあくまでサポート役に徹している。
第4回までのスクールでリノベーションの対象となった17件の案件中11件がすでに実現、もしくは計画が動いている。このような事業化に向けて、大きな役割を果たしているのが「株式会社 北九州家守舎」である。
同社は、スクールの提案をオーナーが事業化する際のサポートを行うために、2012年4月に設立された。発起人は、前述した嶋田洋平氏と、小倉駅北口でカ フェを経営しているインキュベーションマネージャーの遠矢弘毅氏、北九州市立大学准教授の片岡寛之氏、九州工業大学准教授の徳田光弘氏であり、それぞれが 得意分野を持った専門家集団である。具体的には、スクールでの提案に基づく改修設計や転貸事業、物件の運営・管理、イベントの企画など多様な事業を行う、 まさに「現代版家守」である。
まちの再生 賑わいの創出へ
リノベーションまちづくりは、小倉家守構想の目的である新たな雇用と事業の創出にも確実に つながっている。たとえば、「メルカート三番街」には若手デザイ ナーやクリエイター10組が入居している。これまで若い事業者たちは、中心市街地に活動の場を設けたくても商店街のテナント賃料が高く、入居しづらかっ た。そこで、新規事業の立ち上げを促すために、家賃は周辺相場よりも安価に設定したそうだ。改修を必要最低限にとどめ、不動産所有者の初期投資を抑え、1 フロアを2~20坪の小区画に区切ったことで、安価な家賃設定が可能となった。また小区画にすることで、より多くの人が入居可能となり、集まった事業者た ちはビル内でイベントを実施するなど、コミュニティも再生している。
その結果、2014年4月までのリノベーションによる創業・新規雇用者数は194人にのぼる。テナントの入れ替わりもあったため、そういった人も含めると250人は超えているそうだ。
今までの商店街にはなかったテナントは、新しい顧客を呼び込むきっかけにもなった。特に、 若い人が増えており、リノベーションまちづくりに取り組み始めて以降、商店街の通行量は緩やかながらも回復傾向にあり、賑わいが戻りつつある。こうした取 り組みが評価され、魚町商店街は平成25年度経済産業省の「がんばる商店街30選」に選ばれ、リノベーションまちづくり事業は国土交通省の「土地活用モデ ル大賞」の審査委員長賞を受賞した。
さらなるまちの再生に向けて
梯氏は、今年6月に新たなリノベーション物件「ビッコロ三番街」をオープンさせ、次なるリ ノベーションの取り組みにも着手している。北九州家守舎を中心に計画が進んでいる案件も多数あり、1つの物件から始まったまちの再生は小さなエリアへと範 囲を広げ、そのエリアはさらに拡大しつつある。そして、前述した北九州家守舎のメンバーである徳田氏が中心となり、今まで行ってきたリノベーションの事例 をもとに、アフターフォローの仕組みづくりなど、引き続き調査・研究・情報発信を行うために、2013年8月に「一般社団法人 リノベーションまちづくり センター」が設立された。
まちづくりの基盤は強固なものになりつつある。ただ、全国同様に、商店街衰退に対する危機感に温度差があったり、また 所有者が地元にいなかったりするケースもあり、抜本的な問題解決の糸口は見えていない。少しずつでも広がる輪が、こうした問題解決のきっかけになっていく ことが期待される。
おわりに
まちづくりにおいて重要なのは、「まちを良くしたい」という思いであろう。そういった人たちが集まり、小さいところからまちを動かし、少しずつ周りを巻き込んでいく。行政に頼るだけでは、まちは変わらない。実践に移さなければ、一向にまちは変わらないだろう。
小倉の抱えている問題は決して小倉に限ったものではない。全国どこででも同様の問題が存在している。小さなところからまちを変えていく小倉の取り組みは、全国のモデルになりうるのではないだろうか。
(國遠 知可)