四国の最西端にある"佐田岬灯台"は、今年4月に初点灯から100年目に突入した。2月にリニューアル工事が終わりドレスアップしたおしゃれな外観は、まさに"白亜の灯台"だ。
今回は、佐田岬灯台の知られざる逸話や新たな魅力に加え、伊方町三崎地区の歴史・自然の観光スポットをクローズアップして紹介する。
佐田岬灯台の誕生
1918年、対岸の関埼灯台(大分県佐賀関)からレンズや灯器類を移設し灯が点された。八角柱型の塔柱は高さ18mの鉄筋コンクリート造り。大正時代を象徴する装飾性が外観の美しさを際立たせている。
灯台の光源は随時強化され、現在の光達距離は約35㎞。対岸の佐賀関(約14㎞)まで十分達する光力を誇る。
~かつては有人灯台だった~
この灯台には、93年(平成5年)まで海上保安庁の職員が常駐していた。職員が勤務していた当時、灯台の下
には5棟の官舎があり、灯台長と職員、その家族の方々が暮らしていた。
灯台での仕事の中には危険な仕事も多かった。台風の際に様子を見に外に出た職員が山中に吹き飛ばされたこ
ともあったという。多くの人々の不断の努力によって受け継がれ、今日の佐田岬灯台がある。
緑のトンネルを抜けると
三崎港から車を約30分走らせると、佐田岬灯台の駐車場に到着する。灯台のある半島先端までは歩いて20分程度の距離。遊歩道の両側から椿などの木々が生い茂り、まるで"緑のトンネル"の中にいるようだ。野鳥のさえずりや潮騒も心地よい。木漏れ日を浴び、眼下に青い海を見下ろしながら歩いていると、思わず時を忘れる。
恋する灯台
灯台の250m手前にある椿山展望台からは、灯台と豊予海峡、九州を一望できる。ウッドデッキにあるハート型モニュメント"ハートリング"は恋人の聖地のシンボルだ。
モニュメントのハートリングの角度をうまく合わせるとハートの形に見え、その真ん中から佐田岬灯台が顔を出す。夕暮れ時がおすすめ。
昨年7月、佐田岬灯台は日本ロマンチスト協会から「恋する灯台」に認定された。日本一細長い佐田岬半島の先端にある灯台は初点灯から100年目という歴史ロマンに加え、恋する気持ちを高めてくれる場所となっている点が評価された。
豊予要塞跡(今も残る戦時遺産)
戦時中、大正末期~昭和初期にかけて、佐田岬周辺には敵の侵入を防御するための要塞が造られた。
対岸の大分側とあわせて豊予要塞と呼ばれた。灯台の手前にあるキャンプ場跡には当時の司令部等が、灯台下や御籠島(当時離島だったが、現在はコンクリートでつながっている)の断崖にある洞門には砲台があった。国内で明治以降の要塞跡が残っている例は少なく、往時の雰囲気を肌で感じることができる。
~黒い灯台~
戦時中、白亜の塔柱は黒く塗られて偽装されていた。それでも、米軍機の銃撃を浴び無数の穴があいた。傷つ
いた灯台をコンクリートとペンキで幾度も補修したものの、弾跡は消えなかったという。戦争の悲劇をみてきた
佐田岬灯台。平和を願いながら、今日も優しい光を放ち続ける。
新たな観光スポット誕生
灯台に近接する御籠島エリアが整備され、4月2日、一般公開が始まった。目玉は「新たな眺望ポイント」と「戦時遺産」だ。
新設された「御籠島展望所」は四国の新最西端のポイント。九州方面の絶景を満喫できるだけでなく、これまでにない角度(海上から見上げるような形)で灯台の眺望を楽しむことができる。さらに、インパクトのあるモニュメント"永遠の灯"が新たに設置され、恋人の聖地の魅力が一段と高まっている。
御籠島にある砲台跡も再整備された。要塞化された島の内部は洞窟になっており、まさに知る人ぞ知る歴史的事実を目の当たりにできる。砲台跡には、当時配備されていた砲台(三八式十二糎榴弾砲)の実物大レプリカが設置され、タイムスリップ体験ができる。
魅力満載、佐田岬
佐田岬には、灯台以外にも歴史、自然ロマンあふれる数多くのスポットがある。その一部を紹介する。
あこう樹(三崎のアコウ)
伊方町唯一の国指定天然記念物(1921年指定)の「あこう樹」(クワ科の半常緑高木)は、地域の人々に愛されている巨樹。無数の空中根がタコの足に似ていることから別名「タコの木」とも呼ばれている。
傳宗寺(でんしゅうじ)
竜宮城から打ち上げられた流木を使って建てられたというロマンあふれる伝説が残っている。実際に"竜宮余財"と書かれた木札が残っており、訪れた際にはぜひ見つけてほしい。敷地内には、樹齢1,000年を超えるという大クスがある。
野坂神社
その昔、「御はな」(佐田岬の先端)の海中が光り往来する多くの船が難風にあっていた。海士が潜ってみると、大ダコが光るものに絡みついていた。海士が大ダコの足を切って引き上げ、御鼻御島(御籠島)に社を作って安置したが、それでも船の被害が続いた。そこで、杉の木3本と呉竹3本が一晩で生えた場所(現在の野坂神社)に光るものを移したところ、その後、船の安全航行が確保されたという伝説が残る。
おわりに
佐田岬は、日本神話の神である猿田彦神(道の神)にあやかって名づけられたといわれる。古から脈々とつながる長い歴史と日本一細長い半島の豊かな自然は、私たちを惹きつけてやまない。
どこまでも広がる青い空と海に、気高く存在し続ける白亜の塔。晴れの日も嵐の日も大海原を照らし続けた灯台の光は、人生の道標のようであり、未来に進む勇気を与えてくれる。恋する灯台のある佐田岬に行こう。未来を照らす灯台が、ふたりの道標となる。
(二宮 秀介)
参考資料:伊方町「ふれあい いかた」佐田岬民俗ノート、伊方町HP
恋する灯台プロジェクト公式HP