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くろーずあっぷ東予

菊間町 “いぶし銀”の技と魅力を情報発信「かわら館」誕生(97年11月)

1997.11.01 くろーずあっぷ東予

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 菊間町は、人口8,048人(県内市町村34位・97年4月推計)、製造品出荷額等1,640億50百万円(同8位・95年)、農業粗生産額32億37百万円(同17位・95年)の「緑と瓦とエネルギーの町」である。
 製油所以外に大きな工場施設もなく、柑橘栽培と瓦づくりが盛んな町といえる。

菊間瓦の歴史

 国道196号線を通り菊間町に入ると道路沿いに製瓦業者が軒を連ねているのが目につくように、瓦づくりは同町を代表する産業である。
 その歴史は古く、約7百年前の鎌倉時代に始まったといわれている。
 雨が少なく瓦の乾燥に適していたこと、いい港があり原料や製品の運搬に便利であったこと、瓦をいぶしたり燃料に使う松材が豊富であったこと、労働集約的な労働を支える労働者・職人がいたこと、などから瓦づくりが盛んになったようである。
 古くは伊予の豪族河野氏の作事方として、江戸時代には松山藩を代表する瓦産地としてその役割を担ってきたといえる。
 県内だけでなく、瀬戸内各地の城郭や神社仏閣にも多数使用されており、現在でも葺替えや修理などの依頼が多いときく。

 

情報発信施設「かわら館」オープン

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 こうした歴史と伝統のある菊間瓦を、日本全国に、さらには世界に情報発信する施設として「かわら館」が完成した。97年7月17日のオープン以来既に7,705人(9月末迄)の来館者がある。
 訪れてみるとまず建物が目を引く。見事な鬼瓦とともに屋根全体が「いぶし銀」の菊間瓦で奇麗に葺かれている。
 正面の鬼瓦は、重さ約3トンの西日本最大級。鬼瓦や飾り瓦を専門につくる職人を「鬼師」と呼ぶが、同町の鬼師が腕によりをかけて製作したものである。
 また、玄関ホールには88枚の瓦を並べた同町伝統行事「お供馬」の躍動感溢れるレリーフが飾られており、「現代の名工」(労働大臣指定)の匠の技を堪能できる。
 展示は2階・3階が中心である。2階には最盛期であった明治時代の瓦生産の様子が模型で再現されている。3階には実際に屋根を飾っていた鬼瓦や飾り瓦の展示とともに全国の「現代の名工」の作品も展示されている。
 「いぶし銀」の瓦は、屋根の上にあるためじっくり見る機会がなかなかなく新鮮な驚きを覚える。
 展示されている瓦は地味であるが見れば見るほど味わい深く、伝統の技・匠の技がしっかり受け継がれていることを改めて感じた。
 また、実際に瓦づくりを体験できる「実習館」も近くに完成している。

かわら館の展示内容

1階玄関ホール・受付
 お供馬のレリーフ・御所鬼の木型など
2階常設展示室
 瓦生産の模型・変遷、金比羅社瓦灯など
3階特設展示室
 全国の鬼師作品展、鬼瓦・飾り瓦など
4階アートギャラリー
 菊間町出身芸術家の作品など

 

「瓦のふるさと公園」もオープン

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 「かわら館」は「瓦のふるさと公園」の中核施設であり、同公園施設も一緒にオープンしている。
 「瓦のふるさと公園」は、JR菊間駅近くの小高い丘を利用して造られており、シンボル的施設である展望時計台からは見晴らしがよく、瀬戸内の島々の眺望が利く。
 また、中四国最大級のローラー滑り台などの遊具もあり、利用者も着実に増えている。

瓦のふるさと公園整備の概要

総 事 業 費 約21億円
うちかわら館事業費 約4億5千万円
全 体 面 積 約54,000㎡
建物延べ床面積 かわら館 1,235㎡
 実習館   204㎡

 

さらなる取り組みの充実を

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 町を代表する「菊間瓦」をうまく生かした町の拠点施設づくりといえる。
 今後は、西瀬戸自動車道(瀬戸内しまなみ海道)の観光ルートへの組込みや他の歴史・文化施設との連携等に向けた取り組みも必要といえよう。
 「いぶし銀」を生かした花器づくりや、新たな色の瓦づくり等積極的な取り組みも行われており、こうした意欲溢れる製瓦業者や鬼師との連携を深め瓦産地としての魅力を高めていくとともに、地域全体の活性化に繋がるハード・ソフト両面のさらなる充実を期待したい。

(村上 茂樹)

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