島四国(しましこく)八十八ケ所めぐりで有名な大島の西側に位置する吉海町。「しまなみ美術館めぐり」の第5回は、町のほぼ中央に位置する「吉海町郷土文化センター」を訪れた。
「吉海町郷土文化センター」は、世界のバラおよそ5千株が咲き誇る観光スポット「バラ公園」に隣接しており、バラの甘い花の香りに包まれながら、吉海町の歴史や文化とふれあえる場として、しまなみ海道開通以来、多数の観光客が訪れている。
館内は、展示室が5室設けられており、村上水軍にちなむ武具甲冑・出土品や屏風などの宝物類、島四国の由来や札所、善根宿の資料、当町の産業の発展を示す民具、さらに日本書画、洋画等が常時展示されている。また、ロビーでは随時絵画や陶磁器などの特別展が開催されている。展示室の中でもメインとなるのが、これから紹介する吉海町が生んだ郷土の偉大な洋画家、野間仁根画伯の作品である。郷土文化センターは野間画伯の絵画等を100点以上管理しており、その内、常時30数点が展示されている。
こよなく故郷吉海町の自然を愛する
野間画伯は、明治34年津倉村(現吉海町)で生まれた。地元今治中学から東京美術学校に進学、在学中から個展を開催するなど積極的に活動した。23歳で二科展に初出品、初入選を果たし、その後、27歳で第15回樗牛(ちょぎゅう)賞を、翌年二科賞を受賞し画家としての地位を固めていった。
吉海町という自然豊かな環境で生まれ育った野間画伯は、自然をこよなく愛し、森や海、星などをテーマにした絵を数多く描いている。中でも、海(特に瀬戸内海)の風景や魚介類などを好んで描き、故郷吉海町は野間画伯の作品のモチーフの源泉として、心の中にいつも生きていたようだ。
赤、黄、青・・・原色鮮やか
野間画伯の作品の特徴は、星や魚、鳥などの対象物を写実的に描くのではなく、画伯独特のイメージで表現していることである。特に星に関しては、昭和19年に吉海町へ疎開したのを機に本格的に描き始め、その後多くの作品が描かれた。野間画伯にとって星は、宇宙に存在する未知なるものとして想像の働きやすい世界だったようだ。「画家たるものは天文でも歴史でも生物、植物など何でも一通り分かる程度の教養を身につけておくべきだよ。」と語っているが、特に星の世界では、星に関する知識に想像力が加えられた独特の世界が繰り広げられている。
今回紹介する一品は、その星をテーマにした作品の代表作「天ノ河」(写真)である。野間画伯の作品は、晩年に向かうほど赤、黄、青、緑などの原色が多く使われ、彩色が輝きを増し、躍動感溢れるものが多くなっている。晩年(73歳)の作であるこの「天ノ河」も、原色が大胆に使われ、展示室内の作品の中でもひときわ鮮やかな色彩の絵である。両手を広げている獅子の顔をした少年(獅子座)、白鳥の湖を踊るバレリーナ(白鳥座)、水瓶から水を流す少女(みずがめ座)、牛飼いの少年(うしかい座)など、星座を人や魚、蝶など、野間画伯独特のイメージで表現している。そのおどけた表情を見ていると楽しい気分になってくる。晩年「若い頃から明るくて、色の美しい絵を描きたいと思っていたんですよ。それが念願で絵描きになったようなもんなんですから。」と語っているが、まさにその念願をかなえた絵ではないかと思う。
幻想的世界へようこそ
野間画伯の作品は、晩年のものほどより生命力がみなぎっていると言われる。事実、センターに展示されている作品を見ても、40、50歳代の作品に比べ、色彩にしても、人間や動物の表情などにしても、70歳以降の作品から躍動感や楽しさという感覚がより強く伝わって来る。「なるがままに、自然に、自由に」が野間画伯の芸術の根底にあると言われているが、年を経るにつれその境地に達したのではないだろうか。「天ノ河」を暫くながめていると、絵の中の少女や動物に、「もっと自然に、自由に,楽しく」と語りかけられているようであった。
皆さんも日常のひとときを、野間画伯の幻想的世界に浸ってみてはいかかでしょうか。忘れかけていた大切な何かを思い出すかもしれません。
(上野 敬治)