長 浜 町
今回は、人口9,270人の自称“駅、海に日本一近い町”、長浜町での“まちづくり”の一例を紹介する。伊予灘に面した肱川の河口には、日本で唯一の開閉方式をとる大橋(“赤橋”)がある。1986年の閉館までは、実に50年間、県下唯一の水族館もあって、再建を望む声が多い。河口では“青海苔”採りも見られ、10月上旬頃から翌年3月頃までは、海上と陸上との大気の温度差により“肱川あらし”が発生するなど、自然豊かな町である。歴史的には、後背地からの木材の搬出・集積の港町として発展した。また、坂本龍馬も足跡を残す町である。
松山からは、高速道路で大洲経由か、通称“夕やけこやけライン”(国道378号)を使って海岸線に沿って入る。臨海工業開発事業による晴海、拓海団地へ町内外からの立地もみられる。
“まちづくり”は、“人づくり” 一人ひとりが主人公
長浜町も、御多分にもれず、“若者の町離れ”現象には勝てず、この10年間で総人口では約1,560人の減少となった。
そんななか、なんとか若い人々に、ふるさとを見直して欲しいとの願いも込めて、13年前に立ち上げ、いまや町の人々にとりかけがえのない存在になっているのが、“白滝フロンティア会”(会長・上満徹氏、顧問・渡辺正二氏ほか)である。
当時の青年団活動を引き継いだものであるが、息の永い活動としてますます輝きを増している。核になってきたのは、1947年から1976年生まれの幅広い層のメンバー35名で、一人ひとりが、町の人々にイベントへの参加を呼びかけてきた。
電話による連絡網も完備し、年間計画表によると、なんと、毎月、イベントがある。テーマは、実にバラエティ(健康、法話、企業経営者講話、ガーデニング、スポーツ、視察旅行など)に富んでおり、それが、そのまま、この会の活発性、積極性を物語っている。1999年度からは、公民館とタイアップして、“白滝フロンティア人づくりセミナー”の企画・運営の中心になり、さらなる地域づくりを目指した活動を展開している。
また、町の行事である、観光名所・白滝での“滝祭り”や、“うら盆祭り”での出店等に積極的に参加・協力し盛りあげている。白滝を題材にした“絵葉書コンクール”や、地元に伝わる“るり姫伝説”の紙芝居風案内板の設置、ホームページの開設など、PR・イメージアップの活動も続けている。
最近では、10月下旬から約1ヵ月のシーズンには、8,000人もの人々が訪れるようになったという。絵葉書コンクールでは、原図の応募(町内外から100余点)を受けて、優秀作品を絵葉書にして販売した。ふるさとの再認識・PR、収入源確保と一挙両得となった。
『こういった活動は、すぐ、行政などに頼り勝ちだが、資金的に9割以上を自前で運営する体制が生まれたのが自信と誇り。白滝の子供たちは、幼い頃から、コミュニティ(ジュニアクラブ)に入って、下積みを経験する。やがて大人になって、白滝フロンティア会で、活動を続けることになる。さまざまなアイディアが出るのも、下積みの経験が大きな力になっている。“まちづくり”は、“人づくり”やて』と、渡辺さん。
幸福を招く原則
IRCニュー・リーダー・セミナー3期生に在籍の時、講師(清水榮一氏)から聞いた、次の言葉が重みを増しているという。
『不朽の名作と言われる小説に共通しているのは、そこに登場する人物が非常に個性的である点だ。最も個性的なものこそ、もっとも普遍的である』。
渡辺さんは、『もし白滝のみんなが、世界の中の存在になろうとするなら、最も個性的なものをしっかりとつかむことが大事で、そうしてこそ普遍性が生まれることになる。グローバル化とは、何も大上段に振りかぶるものではなく、地域の人々が、活動を通じて自分自身や地域の独自性を、感性・世界観として、どのように育んでいくかだ』と続ける。同感である。
渡辺さんの事務所には、座右の銘、「幸福を招く原則」が、額縁に入り掛かっている。ひときわ目をひく。訪れた人と必ず話題になるという。
考え方が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
人口減の逆風の中にあっても、一人ひとりの故郷を思う気持ちが積極的になり、行動と習慣が形になればなる程、賑やかで明るい町・ふるさとに繁がる。同会のさらなる活躍を期待したい。
(菊地 芳博)
白滝の祭事が一目でわかるホームページ
http://www.bekkoame.ne.jp/~uemitsu
(会長・上満徹氏)
事務局・別宮康夫氏(Tel 0893-54-0565)