国道378号は「夕やけこやけライン」またの名を「花見国道」
夕日が美しいのは全国どこでも共通するかもしれない。しかし、それを見て感動し、アクションをおこして、自分たちのものにしていったのは愛媛県の双海町だけだろう。松山市から西へ約25キロ、瀬戸内海に面する人口6千人の小さなこの町のキャッチフレーズは「しずむ夕日が立ちどまるまち」。海岸を走る国道378号は「夕やけこやけライン」の愛称で親しまれ、JR下灘駅のプラットホームでは毎年「夕焼けプラットホームコンサート」が開催される。夕日の物語を凝縮させた「夕日のミュージアム」やきれいな砂浜、ミニ水族館などのある「ふたみシーサイド公園」(道の駅)には若者や家族連れなど多くの人が訪れる。また、国道378号は逆さに読むと、ハナミ国道となる。早春は黄色鮮やかな菜の花で美しいが、桜、ツツジ、紫陽花、酔芙蓉(朝、真っ白、昼にピンク、夜に真っ赤となるので別名、夕日花)など四季の花で一年中彩られる。
夕日なんかでまちおこしが出来るはずがない!?
こうしたまちづくりの仕掛人は、双海町役場の若松進一さんである。若松さんは1944年生まれ。都会に集団就職する仲間が多かった世代である。宇和島水産高校を経て70年に役場に入り、83年からまちづくりに携わってきた。
「夕日」という切り口のきっかけは、14~15年前、都会から来たマスコミ関係の人に「夕日がきれい」と言われたこと。瀬戸内海に沈む夕日がきれいなのは当たり前という感覚であったが、宇和島水産高校の実習でオーストラリアへ行ったとき眺めた南太平洋のきれいな夕日、総理府派遣「青年の船」でアメリカ・メキシコ・ハワイで見た美しい夕日がよみがえってきた。日本全国、どこにきれいな夕日があるのだろうと旅してみると、佐渡の海に落ちる夕日、北海道の地平線に落ちる夕日など、きれいな所がたくさんあるものの、そのわりには何もしていない。「当時はバブル経済にさしかかる時期。追い越せ、追い抜けという中で、夕日の“沈む”“落ちる”というマイナスイメージが嫌われていたのだろう。」それならば夕日で、「ひょっとしたら、一周遅れだってトップランナーになるかもしれない」と思いたった。
手始めに、青年たちと一緒に夕焼けコンサートを企画した。ほとんどの人が「夕日なんかでまちおこしが出来るはずがない」というなかで、夕日の映える下灘駅のプラットホームをコンサート会場とし、日本フィルハーモニーのトロンボーン奏者を招くと1000人を越える聴衆がつめかけた。このコンサートを何年か続けているうちに、夕日のきれいなまちというイメージが定着していき、その集大成として、夕日の物語を凝縮した「ふたみシーサイド公園」を完成させた。こんなにまでして、はたして人が来てくれるのかという思いもあったというが、今では、ふたみシーサイド公園は、年間55万人を集める県内屈指の観光・レジャースポットとなり、運営する第三セクターも年間2千万円の黒字を出している。
ふるさとに誇りを
若松さんのまちづくりの原動力は、「自分のふるさとに誇りを持ってもらえるようなまちづくりを」という思いである。若いとき青年団活動などで東京に行くと、「双海町はどこにあるの?」と問い掛けられても、愛媛の松山の近くと言うしかなく、はがゆい思いをした。まちの子供たちが「どこから来たの?」とたずねられても、「伊予市の向こう、長浜町の近く」などと答えていた。やはり、双海町と言えば分かってもらいたい。双海町にしかないもの、オンリーワンの物語が必要だと痛感した。また、心の中には少年期に集団就職していく仲間を見送った原風景がある。過疎化をくいとめたい。こうした思いから、ふるさとを誇りに思えるまちづくりに励んできた。
そして今、「多くの人が来てくれる」「収益を上げている」ことにもまして、子供達が作文で「夕日のきれいなまち、花のいっぱいのまち、と書いてくれることが嬉しい」という。
双海町という色をさらに鮮やかに
行政改革の流れのなかで、全国の市町村が合併による再編を迫られている。しかし、若松さんたちは、自分達の住んでいるまちの物語をつくるという方針を変えることはない。他の市町村と混ざっても、この町の特色を大事にしたい。そのためには、「もっともっと双海町に色をつけていきたい」という。夕日の切り口はもっと増やして、「夕日のことだったら何でも双海町に聞け」といわれるようにしたい。
今後、財政難から、国から地方への補助金は従来のようにはつかないだろう。しかし、「これまでも各市町村の凌ぎあい、攻めぎあいのなかで、与えられたチャンスをものにしてきた。人と人とのネットワークを生かし、知恵を絞ってカバーしていきたい。」
後継者には「夕日」を超えてもらいたい
さて、そうした若松さんにとっての、今後の課題は後継者の育成だろう。しかし、「意識して後継者を育成しようとすれば、私と同じ発想となり、私のコピーとなりかねない。」「私は、何もないところから“夕日”を見つけてきた。後に続く者にも何かを見つけてほしい。夕日にとらわれず、夕日に替わるものを見つけ、夕日を超えてほしい」と奮起を促す。
まちづくりに成功セオリーはなく、自分でつかむしかないと考えさせられた。
(梶原 正秀)