このシリーズは、愛媛県内各地の”まちづくり”の中で、全国的にも注目されているユニークな活動を、その中心となって取り組んでいる「人」にスポットを当てながら、紹介している。今回は、今や『どろんこ祭り』とともに城川町のシンボルとなっている、今年で第8回を迎える『全国かまぼこ板の絵展覧会』と、それを中心となって支えている4名のスタッフの奮闘ぶりを紹介したい。
「絵はいつでも誰でも描ける」
城川町は松山市から南へ約75km(車で約1時間30分)、「奥伊予」と称される愛媛県西南部、高知県境に位置する人口約5,000人の小さな町である。しかしながら、昨年1年間の観光客数は年間約38万人にも達した。その主な理由は、ドイツのある過疎の町が環境美化により活性化した事例をモデルに、城川町が83年より取り組んだ「わがむらは美しく運動」、あるいは城川町の豊かな自然環境を生かした「宝泉坊温泉」、「城川自然牧場などの整備に加え、『全国かまぼこ板の絵展覧会』開催の効果も大きい。こうした町をあげての取組が評価され、城川町は昨年、財団法人あしたの日本を創る協会などが主催する「2001年度ふるさとづくり大賞」の市町村部門で、見事日本一となる大賞(内閣総理大臣賞)に輝いた。
『全国かまぼこ板の絵展覧会』の始まりは、南予初の町立美術館として93年に建設された「ギャラリーしろかわ」に、東京の洋画家である折笠勝之(おりかさかつゆき)氏を講演に招いたのがきっかけ。折笠氏が「絵はいつでも誰でも描ける」と話し、かまぼこ板に描いた油絵を城川町に残していった。これをヒントに、2年後の95年にこの展覧会はスタートした。題(テーマ)は自由で、材料のかまぼこ板はどこの産地のものを使ってもかまわず、使用する板は1枚だけでもいいし、最高100枚までは組み合わせ可能。油彩、水彩、クレパス、マーカー、墨など何でも可能。はり絵、押し花などもOK。プロ、アマ問わず誰でも応募できる。年々応募件数は増加し、昨年の第7回は15,102点もの応募があった。そのうちの約4割は、県外からの応募であり、その中には、アフリカのザンビアからの応募も含まれている。
この展覧会を準備段階から支えてきたスタッフは、館長補佐でリーダー格の浅野幸江さんと、渡辺一衛さん、山本沙織さん、三浦雅己さんの計4名である。
目標は百万人の共鳴
第1回の展覧会以降、応募件数は着実に増加してきたが、今日までの道のりは決して平坦なものではなかった。スタッフ4人で話し合いを重ねながら、「小さなかまぼこ板をキャンバスにすれば、絵はいつでも誰でも描けるんだということをアピールして、全国に公募してみよう。100万人の共鳴を得られれば、1万点ぐらいの作品は集まるはずだ」と夢をふくらませた。
しかし、第1回の展覧会の開催にこぎつけるまでにはいくつもの大きな問題が立ちふさがった。その中でも最大の問題は、予算に関することだった。「小さな町だから、美術館を造るだけでも大変なのに、そんなにお金のかかることはもってのほか。城川町の財政事情を考えよ」という声も強かったが、浅野さんたちはあきらめなかった。
苦労したことについてたずねると、浅野さんはこう語った。「ある意味ですべてが苦労であり、またすべてが楽しみでもありました。第1回目の展覧会の時には、『とにかく作品が集まれば、なんとかなるだろう』と考え、時には泣いたり恥もかいたりしながら、夢中で走ってきました。今思えば、夢を実現するには汗をかかなければいけないんですね」。
そして、控えめながらも毅然とした話し振りの中に、特に印象に残った言葉があった。「夜ほとんど寝る暇もなく、泣きたい時もありました。しかし周囲の方々が、苦労を承知で挑戦しているんだから応援してやろうと暖かく励ましてくれました。私たちも、『町の活性化のためには、ここでくじけるわけにはいかない』と頑張ることができました。この展覧会は、いろいろな皆様からいただいた暖かい励ましの結晶なんです」。
プロも本気で挑戦
審査員長は、講演で城川町を訪れた際に、スタッフが就任を強力にお願いし快諾を得た、有名な漫画家である富永一朗氏が務めている。約10日間にわたる審査では、板に描かれた絵のみを審査し、審査の段階で作者の名前や経歴は全くわからない。昨年の展覧会で見事「大賞」に輝いた東京在住の中原ミキオさんは、プロのイラストレーターであるが、入賞は初めてであり3回目の挑戦である。スタッフの話によると、比較的軽い気持ちで応募した1回目は選外になり、これで中原さんのプロ魂に火がついた。翌年の2回目の挑戦では入選はしたものの佳作にとどまり、昨年の3回目の挑戦でついに「大賞」受賞となった。中原さんによると、「プロとしての意地もあったが、それ以上にこの展覧会のいろいろな作品を見て、プロでもびっくりするような着眼点・描き方・色使いなどに感服し、どうしてもとことん挑戦してみようという気持ちになった」という。昨年は仕事をすべて断り、6か月間、かまぼこ板の作品づくりに没頭したそうだ。
深まる応募者とスタッフとの交流
『全国かまぼこ板の絵展覧会』の目的は、城川町の知名度アップ、交流人口の増加、町の活性化などであり、それぞれ大きな成果を上げている。特に、全国の応募者との交流では、当初の予想を上回る成果を上げている。その秘密は、スタッフが応募者1人ひとりのことを実に良く知っていることだ。信じられないことだが、応募してきた約15,000人すべてにスタッフが自筆で礼状を書いているのである。そして応募者は自分の絵を見るのと同時に、自分の近況を報告しに、遠路はるばる城川町を訪れる。スタッフによると、一度応募した人の大半が、次回も応募してくるという。
このように絵の出品だけでなく、「ギャラリーしろかわ」のファンは、スタッフとの”心のかよいあい”を本当に楽しみにしている。
約6cm×12cmかまぼこ板のちっちゃな空間に、描く人の想いをコンパクトに表現するのはまさに『絵の俳句』である。そして15,000以上にものぼる応募作品すべてが展示されている展示場は、まさに壮観の一言である。
描かれた人生のきらめき
「ちょうど7年前は、太平洋にたらいで漕ぎ出したような状態だったんですよ」と浅野さんはすがすがしい笑顔で語る。当初は手探りでどっちに転ぶかもわからない状態でスタートしたが、年々全国の多くの人たちとの交流を深めていく中で、見事な花を咲かせるようになった。もちろんその原動力になったのは、『「かまぼこ板」に描かれた絵は、応募者一人ひとりの人生のきらめきの表現なんだ!!』とのスタッフ4名の強い思いと、町役場はじめ町民の協力であったことは言うまでもない。
何より展示場でたくさんの作品に囲まれていると、「年に1回の城川町の『かまぼこ板の絵』に応募するんだ!!と1年間構想を温めている人が全国中にたくさんいる。こんなに想われている町は、日本には他にないかもしれないな」という気がしてくる。
城川町の情報発信基地として
「ギャラリーしろかわ」では、『全国かまぼこ板の絵展覧会』や常設展以外に、地元の若い人材を育てるための展示会もたびたび開催している。地元の中学校や高校も積極的に参加しており、卒業記念作品や美術の授業の作品などを定期的に出品している。
「ギャラリーしろかわ」が、今後も文化交流の輪を広げ、全国に向けて城川町の情報を一層活発に発信し続けていくことを期待したい。
(小林 豊和)