~「海響館」、「唐戸市場」に続く「カモンワーフ」が人気を呼んでいる~
2002年4月下関港の唐戸地区にフィッシャーマンズワーフ「カモンワーフ」がオープンした。
カモンワーフは、初年度に142万人を集めた水族館の「海響館」と、市場業者だけでなく、だれでも買物できる魚市場の「唐戸市場」と並ぶ、下関港ウォーターフロントの中核施設である。
3つの施設の整備によって、下関港ウォーターフロントは、今、にぎわいとやすらぎのスポットに大きく変貌している。
下関は通過都市となり低迷が続いていた
下関市は、本州の最西端に位置し、本州と九州とを結ぶ交通の要衝として、また、古くから大陸との交流拠点として発展してきた。
産業面では日本一の水揚量を誇った水産業や造船業が基幹産業として引っ張り、観光面では1958年の関門トンネルの開通を契機に、開通を祝った博覧会の開催や水族館、火の山ロープウェイの開業、その後も73年には関門橋オープン、火の山パークウェイ展望台が整備されるなど、交通体系の整備を背景に大きく発展してきた。
しかしながら、75年以降は新幹線の博多乗り入れなど交通体系の整備によって通過都市化が進み、日本一の水揚量を誇った水産業もトロール漁業の低迷などで水揚量を減少させ、加えて造船業も不振と、街はかつてのにぎわいを失い、寂れた海峡の街と化していた。
ウォータフロント開発に着手し、観光都市を宣言
中でも老朽化した倉庫が立ち並んでいた唐戸地区は、人影まばらで人より野良猫のほうが多いといわれるほど寂れた街となっていた。こうしたなか、89年から下関港を再開発し、かつての賑わいを取り戻そうと「海峡まるごとテーマパーク」を基本コンセプトにウォーターフロント整備事業『あるかぽーと下関』が始められた。
さらに、下関市は96年に高さ153mの「海峡ゆめタワー」と国際コンベンション施設が一体となった「海峡メッセ下関」を整備し、「関門海峡や豊かな歴史文化を生かし、交流人口の増加を図る魅力ある観光地づくり」を目指す観光都市を宣言した。
下関港ウォーターフロント概要
面積 | 約13.5ha |
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整備期間 | 1989~2000年 |
整備内容 | 用地造成、ボードウォーク・緑地整備 |
中核・計画施設 | 水族館「海響館」建設費123億円(01.4開設) 魚市場「唐戸市場」建設費80億円(01.4開設) フィッシャーマンズワーフ「カモンワーフ」(略) 複合商業施設(計画) 都市型ホテル・オフィス棟(計画)他 |
カモンワーフ概要
敷地面積 | 約3,000m2 |
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延床面積 | 約4,000m2(鉄骨2階一部3階建) |
総 工 費 | 約14億円 |
駐車台数 | 施 設 前(乗用車)約90台 唐戸市場(乗用車)約600台、(大型バス)約50台 |
年間売上計画額 | 約20億円 |
店舗数 | 45店舗 |
客席数 | 約600席 |
※ 「カモンワーフ」は、関門(かんもん)、come on(カモン)、フィッシャーマンズワーフを合成 |
24時間人の絶えない街に変身
その後、89年から12年の歳月をかけて造成されたウォーターフロントに2001年4月新水族館「海響館」と新「唐戸市場」が完成し、そして02年4月に「カモンワーフ」が誕生した。
海響館、唐戸市場、カモンワーフのそれぞれの施設は「ボードデッキ(木製のデッキによる遊歩道)でつながり、大小数多くの船舶が行き交う関門海峡を眺めながら海辺をそぞろ歩く空間ができあがった。
3つの施設は、それぞれに主要客が異なり客層を広げている。国内唯一の巨大なシロナガスクジラの骨格標本が出迎え、50種のフグがわがもの顔で泳ぐ海響館は、家族連れや修学旅行生など関西から九州にかけて広く集客している。唐戸市場は地元買い物客に観光客が加わり、カモンワーフは日中は観光客、夜は地元市民の食事やくつろぎの場となっている。
また、唐戸市場は夜中から明け方にかけて入荷やセリが行われ、昼前まで買い物客で賑わい、カモンワーフは昼前に開店し夜更けまで若いカップルが散策を楽しんでいる。まさに24時間人の絶えないスポットとなっている。
推進力は民間資本
「海響館」は公設公営、「唐戸市場」は公設民営の施設であるが、「カモンワーフ」は民設民営の施設である。
市の土地を借りうけて開発し運営しているのは下関フィッシャーマンズワーフ株式会社である。出資者は下関唐戸魚市場株式会社をはじめ、すべて地元企業で、市からの出資は受けていない。
なぜ、市の出資を受けて3セクとならなかったのか? 3セクとなれば、資金調達が容易になり、対外的な信用力も増すように思われるのだが・・・。これに対して、『弊社のような、小規模な企業は、対応の俊敏さが命です。それに3セクとなると経営責任の所在が不明確となり、資金調達が容易になる反面、施設がややもすると贅沢になる心配もあります。』と同社専務の今井正明氏は謙遜しながらも明快に答える。また、このほかにも、トップが首長の場合、経営が行き詰まっても先送りされ債務を膨らませる恐れがあるとも指摘している。
フグ、クジラ、ウニ、グルメがうなる料理が並ぶ
カモンワーフには45のテナントが入居している。テナント募集時には約300社からの応募があり、その中から構成を考え、現在の45店舗に絞られている。すべて地元の店であり、新鮮な魚介類を使った魚料理店やラーメン、うどん店のほか、土産物店、地ビール工房、韓国民芸店やディズニーショップなど幅広い業種が揃っている。
中でも、フグ料理は、日本一のフグ市場に隣接するメリットを生かしフルコース5,000円、昼のミニ会席2,500円という破格の値段で人気を呼んでいる。また、フグのにぎりを120円で提供する回転寿司は1時間待ちもざらという賑わいをみせている。
フグのほかにクジラやウニも下関名物である。クジラは今年春に行われたIWC(国際捕鯨委員会)下関会議でもおなじみとなったが、知る人ぞ知る下関はクジラ料理の本場である。クジラ料理専門の「鯨屋」では、尾の身、赤身、本皮、尾羽雪(背の身)、ベーコン、竜田揚げとクジラづくしの定食を格安で提供してくれる。クジラ料理は、意外なほど臭みもなく、堅くもなく、美味しくて、中年以上の人たちには懐かしい味である。
また、下関大丸が初めてテナントとして出店した食品・雑貨店では、他では決して味わえないウニソフトクリームを開発し、同店の売上の2割を占める人気商品となっている。
フグは豊臣秀吉が禁止し、伊藤博文が解禁した
フグは古く縄文時代から食べられていたが、豊臣秀吉が朝鮮出兵を進めた頃、全国から集まった兵士がフグの毒にあたり出兵する前に命を落とすものも出たことから、秀吉はフグ食を禁止してしまった。この禁令は江戸時代も続き、武家社会ではフグによる食中毒を出した場合、お家断絶とされた。その禁を解いたのが明治の初代内閣総理大臣伊藤博文であり、公許第1号店が下関の「春帆楼」であった。こうしてフグは天下公認となり、下関の名が全国に響き渡ることとなったのである。なお、関門地区ではフグを福に転じることから「フク」と呼ぶ。
門司港レトロと一体の海峡交流圏の形成に期待がかかる
関門海峡を挟んだ対岸の門司港は、下関より一足早く明治大正の近代建築物を生かした門司港レトロをオープンしている。
下関港と門司港の間は、連絡船でわずか5分、最も狭い海峡部は700mである。互いに海峡をはさんで見る景観はすばらしい。
そうした海峡と対岸の景観を資源と考える両市は、関門海峡のブランド化に努め、一体となった海峡交流圏の形成を目指している。互いに同じ観光施設は作らず、関門海峡の景観は共通の財産と「関門景観条例」を制定し、共同で景観の保全・演出を図っている。全国には、青森市と函館市をはじめ、各地に海峡交流圏の取組みが進められているが、関門海峡交流圏は、その距離の近さや資源の多様性、連絡船や人道トンネルなどの移動ルートが7通りもあるなど、周遊性のポテンシャルは傑出しているといえよう。
門司港レトロ
九州の起点駅として建設されたJR門司港駅(旧門司駅)を中心に、旧門司税関、旧門司三井倶楽部、旧大阪商船など現存する近代建築とはね橋やレンガのプロムナードなどが整備され、落ち着いた風格ある都市景観が形成されている。
門司港は『バナナの叩き売り』発祥の地でもあり、冷蔵庫のなかった時代、台湾から門司港に荷揚げされた熟れ過ぎたバナナを叩き売りしたといわれている。
この秋には、当地出身のイラストレーターわたせせいぞう氏が全面協力し、旧大阪商船ビルに「わたせせいぞうと海のギャラリー」が華やかにオープンした。
愛媛の旅行業者も熱いまなざしを注ぐ
下関には愛媛からも多くの旅行客が訪れている。松山と門司港を結ぶ「シーマックス」は年間約8万人の乗客を運んでいる。また、海響館が独自に調査したところでは、入館者に占める愛媛からの客数の割合は5~7%と福岡、広島、山口に次ぐ多さとなっている。
シーマックスを運航する石崎汽船では、乗船券と宿泊券をセットにした九州パックに加えて、今年4月からは乗船券と門司港レトロの商品券に海響館入館券を組み合わせた「関門海峡周遊パック」も販売している。今後はカモンワーフでの買物券を盛り込んだ商品もつくり売り込む計画である。
また、JR西日本は既に今年春から『関門海峡物語』と銘打った大型のキャンペーンを全国に向けて展開し、名探偵コナンミステリーツアーも組み込んだ「関門・海峡物語探訪きっぷ」を商品化している。
関門海峡に吹く追い風を活かせ
来年1月から始まるNHK大河ドラマは「宮本 MUSASHI」である。関門海峡に浮かぶ宮本武蔵と佐々木小次郎決闘の島「巌流島」が、華やかなスポットライトを浴びることは間違いない。現在、無人島の巌流島に観光船が接岸できるように整備が進められている。
下関港ウォーターフロントにとって、来年は大きな追い風を受けることとなろう。しかし、次をどうするか、新設効果の薄れはじめる04年以降に真の実力を問われることとなる。海響館隣接地へホテルや商業施設を誘致する計画はあるものの、一方で施設整備はもう十分と見る向きもあり、今後はハードではなく、ソフトの整備が求められよう。
ソフト整備としては、何より人材の活用であろう。門司港名物の『バナナの叩き売り』は、冷蔵庫のなかった時代に、台湾から門司港に荷揚げされた熟れ過ぎたバナナを叩き売りしたといわれ、今では保存会のメンバーが週末ごとに自慢の口上を披露して客の喝采を浴びている。
下関でも、こうしたユニークな人材やグループによるボードウォークパフォーマンスなどが待たれるところである。また、下関に40名、門司に100名登録されている観光ボランティアを下関も門司も案内でき、観光客と一緒に周遊する海峡ボランティアへとスケールアップすることなども考えられよう。さらに、下関でも門司でも乗り捨てできるレンタサイクル制度を設け、下関と門司を結ぶ連絡船に自転車を積み、気ままに関門海峡を1周するなどの周遊性をもっともっと高める工夫もほしいところである。
(黒田 明良)
巌流島は小さな平らな島だった
正式には、船島(ふなじま)という。下関の沖合い400mに浮かぶこの島は、面積0.08km2、一番高いところが標高10mの平らな島である。明治以降に埋め立てが進み、今では、武蔵と小次郎が決闘したといわれる当時の5倍の広さになっているそうだ。一時は人が住んでいたこともあったが、現在は無人島であり、今盛んに桟橋や接岸工事が行われている。定期航路はなく、チャーター船で浜に乗りつけると、思わず「小次郎敗れたり」と叫んで駆け出したくなるような砂浜が広がっている。