現在、松山市では司馬遼太郎氏の小説『坂の上の雲』を軸とした21世紀のまちづくりに取組んでおり、市民の間でも司馬遼太郎氏に対する関心が高まっている。
今回は、この司馬遼太郎氏の業績と遺志を永く後世に伝えるために作られた東大阪市の「司馬遼太郎記念館」を訪問し、上村洋行館長に話を伺った。
司馬遼太郎ファンのメッカ
この記念館は2001年11月のオープン以降2年3ヵ月で12万人を超える多くの来館者を迎えている。大阪府内はもとより日本各地から大勢の司馬遼太郎ファンが訪れているからだ。
来館者は自宅の門をくぐり、庭を横切りながら司馬遼太郎氏の書斎を間近に眺め、大書架のある建物に入る。
庭は、雑木林のイメージが醸し出されている。夏には草木が生い茂り、冬には落ち葉が舞い散るなど四季折々の変化をみせ、司馬遼太郎氏が日々目にし、感じていたままの自然に接することができる。
書斎は司馬遼太郎氏が亡くなった当時のままの状態で保存されており、未完に終わった『街道をゆく-濃尾参州記』の資料が置かれたままになっている。
施設概要
運営主体 | 司馬遼太郎記念財団 |
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敷地面積 | 約2.000m2(自宅部分を含む) |
建築面積 | 445.86m2 |
延床面積 | 997.05m2 |
階数 | 地下1階、地上2階 |
構造 | 鉄筋コンクリート造 |
設計管理 | 安藤忠雄建築研究所 |
高さ11mの大書架
司馬遼太郎記念館は自宅と大書架のある建物から構成されており、大書架のある建物は「もうひとつの書斎」とも呼ばれている。この建物は「大書架」と「展示コーナー」、「ホール」からなっている。「大書架」は、地下1階から地上2階までの吹き抜けで高さは11mにも及ぶ。その壁面には3,400もの書棚が取り付けられており、司馬遼太郎氏の作品や、原稿を書くために調べた資料、雑誌、関連書籍など2万冊あまりが整然と並べられている。あたかも司馬遼太郎氏自身の頭脳の中を見ているようで圧倒される。
「展示コーナー」には推敲に推敲を重ねた直筆原稿や色紙、万年筆や眼鏡などの愛用品が数多く並べられている。
「ホール」では、定期的に司馬遼太郎氏に関する映像が上映され、講演会、さらにはユニークな演奏会なども開催されたりしている。
自己を見つめ直す機会
この記念館の特長は、ここにくれば、司馬遼太郎氏を身近に感じることができ、司馬作品や蔵書、さらには自分自身と対話することで、自己を見つめ直す機会を持つことができる点にある。事実、館内に置いてあるメッセージ帳をみると、「この記念館で勇気をもらった」、「もう一度自分の目標にチャレンジしたい」など、対話により得られた来館者の率直な思いが綴られている。
多い四国を舞台にした長編小説
司馬遼太郎氏は1923年(大正12年)大阪市生まれである。学徒出陣で太平洋戦争に参加し、22歳で終戦を迎えたが、この軍隊時代の経験が氏を文学の世界に駆り立てたと言われている。その戦争の中で、日本人そのものの本質を強く意識するようになり、さまざまなジャンルの文献を読み解き、思索を重ねることにより、司馬史観と称される独自の歴史観を築き上げていった。
33歳の時に発表した『ペルシャの幻術師』で講談倶楽部賞を受賞し、37歳の時に『梟の城』で直木賞を受賞。その後、新聞記者を辞め、執筆活動に専念するようになった。司馬遼太郎氏は、長編及び短編小説だけでなく、『街道をゆく』の紀行文、エッセイまでさまざまなジャンルの作品を残した。
また、司馬遼太郎氏の長編作品は数多くあるが、『坂の上の雲』、『空海の風景』、『夏草の賦』、『竜馬がゆく』など四国を舞台にした作品も多い(表-1)。中でも、『坂の上の雲』に関しては、司馬遼太郎氏が「私の40歳代はこれで消えてしまった」と述懐するほどの超大作であり、戦後最大のベストセラーと言われている。
表-1 司馬氏の文庫本になった長編小説
多くの人に支えられて
この記念館は、市民や多くの人たちの善意によって支えられているのが特徴である。それは、建設時の善意の募金だけでなく、多数のボランティアスタッフ、活発な友の会の活動などに表れている。
この記念館の建設が決定した時に、この記念館の完成に協力したいという善意の募金が約8,400件(うち個人が95%)寄せられた。その募金には、司馬さんに知識や知恵、勇気をもらったお礼やこの記念館の立ち上げ事業に参画できる喜びを綴った数多くのメッセージも添えられていたそうだ。募金者一人一人の名前は、自宅庭のステンレス板に刻みこまれている。
また記念館のボランティアスタッフは、東大阪市民中心に約300人まで増え、記念館の日常業務を手助けしている。
さらに、司馬作品を愛し、記念館を支えてくれる会員のコミュニケ-ションを目的に「友の会」が組織され、司馬遼太郎記念館でのさまざまな催しや会誌「遼」を通して、新しいネットワークの輪が全国に拡がっている。
設計は安藤忠雄氏
この記念館は世界的に有名な建築家である安藤忠雄氏によって設計され、彼の代表作の一つになっている。それ以外にも、「六甲の集合住宅」、「光の教会」、「淡路夢舞台」などの作品があり、愛媛県内でも西条市大町にある「南兵山光明寺」や松山市柳谷町にある「エリエール松山ゲストハウス(エリエール美術館)」などを手がけている。
安藤氏は後日、次のように述べている。「建物に入ると、入り口から奥に行くに従い開口が制限され、闇の中に入っていくような構成となっている。来館者は、まずその薄暗い空間の奥で、ぼんやり光る白のステンドグラスに目を奪われるであろう。ステンドグラスを取り巻く空間は、三層吹き抜けの展示室であり、壁面の全てが書架によって覆われている。書架には、司馬さんが小説の執筆の手がかりとした膨大な量の本が収納されている。司馬さんが背負ってきた蔵書に囲われた暗闇に、ステンドグラスを通してかすかな光が入り込んでくる、この空間で、司馬文学を生み出した作家の精神世界を表したかった。・・・」(司馬遼太郎記念財団発行「司馬遼太郎」図録より)。
「坂の上の雲」がNHKスペシャル大河に
2007年度にNHKが、大河ドラマスペシャル版として『坂の上の雲』の放映を決定した。
このテレビドラマ放映をきっかけに人々の司馬遼太郎氏への関心が一段と高まり、この記念館への来館者も増加していくものと思われる。日本人は目標を失い自信をなくしかけているといわれている昨今、多くの人々がこの記念館を訪れ、司馬遼太郎氏の世界に触れ、自分自身と対話することにより、再び高い志と自信を取り戻すことになればと願いつつ、レポートを終えたい。
(木内 淑雄)
坂の上の雲記念館
松山市は、「坂の上の雲」のフィールドミュージアムのセンターゾーンに、「坂の上の雲記念館」を2006年(平成18年)度に完成させる予定である。
設計は「司馬遼太郎記念館」と同じく安藤忠雄氏に依頼している。施設概要は、県美術館分館「萬翠荘」の隣接地に敷地面積約3,384m2、鉄骨コンクリート造り4階建て、延べ床面積3,049m2。総事業費は15億円程度を見込んでいる。底面が正三角形の三角柱の形で、壁面にはガラスを多用し、内部から松山城、萬翠荘、愚陀仏庵を見渡せるような工夫が施されている。この記念館は、小説「坂の上の雲」に登場する正岡子規、秋山兄弟などを通し、明治の時代を感じ取ることができる施設となる予定である。
施設概要
主要構造 | 鉄骨鉄筋コンクリート造 |
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階数 | 地上4階、地下1階 |
敷地面積 | 3,383.6m2 |
建築面積 | 935.4m2 |
延べ床面積 | 3,049.2m2 |
※江戸時代の武家屋敷の出土により一部計画を変更中 |