青柳裕介、横山隆一、はらたいら、黒鉄ヒロシ 弓月光等々、高知県が生み出したプロの漫画家は70人を上回ると言われている。人口比では全国トップで、高知県はまさにまんが家王国である。その中でも、だれにでも親しまれ、今なお人気の高いまんがが、やなせたかし作の「アンパンマン」であろう。
今回は、アンパンマンとその仲間たちがやさしく迎えてくれる高知県香北町のアンパンマンミュージアムを紹介したい。
やなせ氏の郷土への深い思い
アンパンマンの作者のやなせたかし氏は、香北町の出身である。こういうと、郷土出身の作家の作品を利用して町を売り出そうとミュージアムを造ったように思われるが、実際はそうではない。ではどういう出会いがあったのかというと、高知県では郷土出身のまんが家の協力を得て、1992年に高校生「まんが甲子園」を始めた。その審査委員長がやなせ氏であった。その頃、香北町では町に総合文化会館を建設する計画が持ち上がり、その一画にやなせ氏の作品を展示しようと考え、やなせ氏に協力を求めたところ、思いがけず、同氏から1億円の寄付と自分の全作品を寄贈したいという全面協力の提案があった。やなせ氏の郷土への深い思いに感謝し、町は総合文化会館ではなく、同氏の記念館を造ろうと話を進めた。
町民に愛されるミュージアムを
町は、記念館の建設に当たっては、まんがを文化として積極的にまちづくりに取り入れることと、住民に愛される公共施設を造ろうとした。ともすると、公共建築物は住民の知らない所で設計され、オープンするまで住民の多くはその内容をまったく知らないというケースになりがちなものである。
そこで、町では記念館の完成を住民が心待ちにしてくれる状態を作ろうとした。具体的には、建築現場に実際の建物の7分の1のスケールの模型を設置して、町民に自由に見てもらえるようにし、さらに、建築ワークショップを開催して、参加者が自分の模型人形を作り、その中に置いてみて、ミュージアムに足を踏み入れた自分を想像するという取り組みを完成までの1年間に渡って実施した。それにより、町民が記念館に関心を持ち、記念館を心待ちにしてオープンを迎えた。
子供から大人まで楽しめる落ち着いたメルヘン空間
こうして実現したアンパンマンミュージアムは、アンパンマンをテーマに絵本原画や登場するキャラクターの人形ばかりでなく、ミュージアムのためにやなせ氏が書き上げた30~50号の大作も展示してある。
ミュージアムの外観は、白を基調としたシンプルなものである。内部は、遊具がおいてあったり、ぬいぐるみのアンパンマンがいたりするわけではないが、1階から3階まで吹き抜ける気持ちのよい空間が広がっている。さらに、4階まで行けば、子供ばかりでなく、大人の鑑賞にも十分に堪え得るやなせ氏書き下ろしの作品を集めた「やなせたかしギャラリー」があり、同氏のアンパンマンに込められたやさしさやバイキンマンなどのキャラクターへの思いや誕生の逸話などをわかりやすく紹介するアニメなどもある。
アンパンマンミュージアムは、必要以上に目立つものではなく、また遊園地やテーマパークでもない、どちらかというと、子供から大人まで楽しめる、落ち着いた質の高いメルヘンの空間である。
「詩とメルヘン絵本館」も仲間入り
ただ、アンパンマン目当てに予想以上に来館者が押しかけたため、やなせ氏や運営者は本来発信しようとしていた「まんが文化」の発信が不十分となったと感じたようだ。そこで、やなせ氏はさらに私費を投じ、98年に「詩とメルヘン絵本館」を、2001年にはアンパンマンミュージアム開館5周年に合わせて、アニメ展などの企画展示ができ、休憩コーナーとしても利用できる別館も寄贈した。この結果、現在では、やなせたかし記念館は、2つのミュージアムと1つの住民向けに貸し出しが可能な別館の3つの建物と、その周囲の広場から成り立っている。
入場者数は20万人
1996年にオープンしたアンパンマンミュージアムの入場者数は、当初見込みを大幅に上回り、49日目に10万人に達し、初年度は9カ月の営業ながら20万人を超えた。2年目はさらに23万人に迫った。3年目は減少に転じ、5年目の2000年には17万人台に落ちたものの、2001年から再び増え始め、2002年、2003年と20万人を超えている。入場者数が増加に転じたのは、開館5周年に実施された記念イベントが好評だったことや、高知自動車道が南国ICまで延伸したこと、さらに「アンパンマン」のTV放映が再開されたということも追い風となっている。一旦落ち始めた入場者数が回復することは、この手の施設としてはとても珍しいことである。現在では、高知県内で最も入場者数の多い施設となっている。また、全国的にみても、年間入館者数が15万人を上回る20のミュージアムの一つに数えられる。
広がるアンパンマン効果
さて、これほどの人気を誇るミュージアムであるが、地元への波及効果はどうだろうか。人気にあやかった観光客目当ての饅頭やせんべい類の土産品は、香北町には見当たらない。これには、原作者のやなせ氏が‘香北町のアンパンマン’ではなく、みんなのアンパンマンという考えで、地域色や地域独占をなるべく避けようとしていることや、テナント管理者がパテント商品を限定しているなどの事情もある。では、地元の対応はどうか。実は地元商店街では、経営者が高齢化し、後継者も少なく、リスクを犯してまで観光客向けの商品の開発や仕入れをする者もいないのが実態とのことである。しかし、観光客向けのグッズはなくとも、自分たちでできることを楽しくやろうと「アンパンマンスタンプラリー」を実施したり、商店街に休憩用のベンチを設けたり、街角にアンパンマンや登場キャラクターの石像を飾ったりして、子供連れの家族客が自分たちの町に遊びに来てくれることに満足感を感じるような取り組みを行っている。今年の春には、街路灯にアンパンマンの人形37基を取り付け、アンパンマンが見守っていてくれるまちづくりを行っている。
女性たちが引っ張るミュージアム
アンパンマンミュージアムを運営する財団法人、「アンパンマンミュージアム財団」を切り盛りしているのは、事務局長の田所菜穂子さんである。田所さんは、香北町の出身ではないが、公立の博物館で学芸員として働いていた時の人のつながりが縁で香北町にやってきたそうである。学芸員というと朝から晩まで美術品や歴史資料などを研究している姿を想像してしまうが、企画や展示業務、人員管理のほか、取材の対応や、時にはチケットのもぎり、混雑している時には、子供たちの整理係など一人何役も務める。また、県や町の観光協会とも協力して広報に駆け回ったり、全国からの講演依頼にも出かける行動派でもある。
こんな田所さんには、「たくさんの人に来ていただきたいけれど、これ以上入場者が増えたら本当に当館を楽しんでもらえるかしら・・・」という人気があるゆえの悩みがある。また、以前行ったアンケートに「アンパンマンばかりが目立ちすぎるのが香北町の嫌いなところ」という中学生の回答があったそうで、町民との心の隔たりがありはしないかという心配もある。「小さな町であり、住民の合意を比較的まとめやすいにしても、全部が全部、受け入れてくれているわけではない」と肝に銘じているとのことである。
これからのアンパンマンミュージアム
幼い子供たちが最初に覚える言葉の1つが「アンパンマン」だそうである。いまや2歳前後の子供たちが一度は行ってみたいところになっている観さえするアンパンマンミュージアムであるが、今後はどういう方向を目指すのだろうか。
田所事務局長は、「人に対して思いやりを持つことなど、人として基本的なものを身に付けてほしいというやなせ氏の作品に込められているものを残していきたい」と控えめに言われ、さらに、「子や孫をダシにしなくても、おじさんやおばさんが一人で来ても楽しめる、そんな大人の目や心をも楽しませるミュージアムを目指したい」と言って微笑まれた。
やなせたかし氏という香北町が生んだ宝を守り育て、その上で次の若きまんが家を生み育てる、アンパンマンミュージアムには、そんなジャムおじさんのパン工場のようないい香りと温かな笑い声が溢れるミュージアムとして、これからもますますやさしさと輝きを増していってほしいものである。
(黒田 明良)