筑波研究学園都市に代表される研究機関等を核にした科学技術都市、いわゆるサイエンスシティが各地に整備されつつある。今回は、兵庫県南西部、人と自然と科学の調和した21世紀のサイエンスシティを目指す播磨科学公園都市を紹介します。
始まりはテクノポリス構想
播磨科学公園都市は、1982年に策定された西播磨テクノポリス基本構想に基づき開発され た都市である。86年に建設起工式が行われ、89年には科学技術庁が大型放射光施設の立地を決定した。その後姫路工業大学理学部(現兵庫県立大学)、はり まコンピュータ・カレッジが開校した。また、賃貸住宅や分譲住宅の建設に併せて小学校や中学校も開校し、97年には「まちびらき」が行われた。
樹海に浮かぶ都市
播磨科学公園都市は、岡山県と境を接する兵庫県西播磨地区に位置する。南には相生市や、小京都といわれるたつの市があり、播磨地方の中心地の姫路市までは車で約35分である。
播磨科学公園都市の計画面積は2,010ha。これを3工区に分け、順次整備する計画であったが、現在、整備されているのは第1工区960haのみである。第2工区と第3工区については凍結中となっている。
播磨科学公園都市のトータルコンセプトは、「人と自然と科学が調和する高次元機能都市」であり、最先端研究施設を核とした国際的な科学技術都市を目指して いる。また、都市の景観設計は「時間とともに成長する森の中の都市」をコンセプトとし、磯崎新氏や安藤忠雄氏、米国のピーター・ウォーカー氏といった国内 外の一流建築家が、兵庫県立先端科学技術支援センターなどの公共施設や集合住宅、幹線道路沿いの公園などの設計を手掛けた。森の中の都市というコンセプト だけあって、遠くから眺めると木々の上に建築物が顔を出し、緑の樹海に浮かぶ近代的な都市に見えなくもない。
低成長下で企業進出や人口流入はやや低迷
960haの用地の内訳は、学術研究用地160ha、産業用地100ha、住宅用地50ha、レクリエーション用地220ha、公共公益施設用地430haであり、‘産、学、住、遊’の調和を重視したゾーニングとしている。
学術研究用地には、世界最高性能の大型放射光施設があり、産業用地には、この大型放射光施設を利用した研究を進めようとNECや住友電気工業などが進出し ている。しかし、90年代後半は工場の海外移転が相次ぎ、進出どころか空洞化が心配された時期でもあり、播磨科学公園都市も例外ではなかった。その後も、 企業誘致は思うように進まず、これまでの民間企業の進出は11社、分譲済みの用地面積は計画面積の57%にとどまっている。
住宅については、兵庫県企業庁が93年に研究機関等の法人向け集合住宅の供給を開始した。95年からは個人向け戸建住宅地の分譲も開始され、第1期33戸、第2期29戸、第3期30戸が売り出され完売した。現在は、第4期36戸の売出し中である。
播磨科学公園都市が目標としている人口は5,100人(1,800世帯)であるが、現状はおよそ昼間人口5,000人、夜間人口1,400人であり、居住人口の伸びは順調ではない。
こうした人口流入の遅れは商業施設の進出にもネックとなり、商業区域の「光都プラザ」は、テナントが埋まらず空いたままのところもある。居住者にうかがう と、日常の買物は光都プラザ内で済ませるが、週末にはたつの市などに車で出かけ、まとめ買いをしているそうである。しかし、買物には不便だが、緑に囲まれ た環境のよさは抜群で、リタイア後に入居した高齢者も多く、四季折々の散策を楽しんでいるそうだ。
世界一の放射光研究施設
播磨科学公園都市を代表する学術研究施設の大型放射光施設は、愛称SPring-8(スプリング・エイト)と呼ばれる。
SPring-8はSuper Photon ring 8GeVの略で、今風に訳せば「世界一の超明るい光を発生させる電子ビームの輪:80億電子ボルトの電子」となるそうだ。超明るい光(放射光)とは、光速 近くまで加速された非常に高いエネルギーを持つ電子の軌道を電磁石によって曲げた際に、軌道の接線方向に発生する強い光をいう。
SPring-8の主な設備は下図のように楕円形のシンクロトロンと直径500mの蓄積リングからなる。その仕組みや構造などは、よく理解できないもの の、説明によると、「蓄積リングの実験ホールに設けられたビームラインに放射光を導き、実験ハッチで放射光を物質にあて、そこで起きる光と物質との相互作 用を検出し、物質の構造、組成、物性などを解明する」そうだ。
蓄積リングのある建物の前に立つと、航空写真を見てイメージしていない限り、大きすぎて円形とはわからないほどである。また、蓄積リング棟の中は大空間が広がり、研究室というよりはSF映画に出てくる宇宙船の内部を思わせる。
現在、SPring-8と同規模の放射光発生装置は米国に1、欧州に1の合わせて3つしかなく、そのうちSPring-8は世界最大規模のエネルギーをも つ放射光を発生する。世界に3施設しかないため、台湾の研究所などアジアを中心とする海外の研究機関や企業も盛んにSPring-8を利用している。
研究成果第1号は愛媛大学の入舩教授
SPring-8を使った研究成果は、たんぱく質結晶構造解析や粉末結晶構造解析といった 研究分野をはじめ、自動車の排気触媒用材料の開発や、ごく身近なところでは充電式リチウム電池の性能向上にも活かされている。また、忌まわしい記憶の残る 「和歌山毒物カレー事件」の試料分析にもSPring-8の放射光が使われた。
特筆すべきは、SPring-8を使った実験で最初に成果を挙げ たのが、愛媛大学の地球深部ダイナミクス研究センター長の入舩(いりふね)徹男教授だったということだ。入舩教授は供用開始された97年10月に、実験 ハッチに超高圧機を持ち込み、地球の深部と同じ環境をつくって鉱物の結晶の変化を解析した。
この解析結果は、地球の地下600kmあたりの構造 が従来の学説と違っている可能性を示したもので、研究論文は、審査が極めて厳しいことで知られるアメリカの「サイエンス」98年3月13日号に掲載され、 注目を集めた。また、同時にSPring-8の名声を高め、同施設の利用促進にも大きく貢献した。
入舩教授は、超高温高圧実験や放射光の地球科 学への応用研究の第一人者であり、SPring-8の立ち上げ以前から放射光を使った実験を行っていた。それでもうまく実験結果が出るまでには、2~3年 かかると思っていたそうだが、1回目で結果を出し、予想を超える成果に実験に携わった研究者や学生たちは大いに興奮したそうだ。この実験を機に、学生の中 にはSPring-8や米国の同様の放射光施設に就職する者も現れたそうである。入舩教授らは、その後もSPring-8を使った実験を続けており、いわ ばSPring-8のヘビーユーザーである。余談だが、入舩教授らが現在使っている油圧式の超高圧機は、新居浜市の住友重機械製であり、同社の高圧機製造 部門は世界トップ級との評価を得ている。
光加工技術が企業を呼び込み始めた
SPring-8の利用は、研究機関、民間企業合わせて、年間1,500課題、研究者数延 べ1万人に及んでいる。しかしながら、これを呼び水とした企業誘致は、前述のように、思惑通りに進んでいるわけではない。そのため、兵庫県は SPring-8の敷地内にやや低いエネルギー(1.5GeV)の放射光を発生する中型放射光施設ニュースバルを設置し、2000年から産業への応用技術 の研究を始めた。ニュースバルの放射光は微細加工に適し、半導体のチップの製造技術などに応用されている。また、同県は企業用地の分譲価格を最大で半額に まで引き下げる割引制度も取り入れた。こうした政策に景気回復も重なって、ニュースバルを利用するため、プラズマディスプレイ用光学フィルタの製造工場や 超精密金型を製作する企業の研究施設が進出した。
自然と科学の調和する都市の実現を
播磨科学公園都市は、建設起工式から20年経ち、2007年には「まちびらき」10周年を 迎えようとしている。企業立地や住宅分譲は決して計画を上回るほどの成果を挙げているわけではないが、SPring-8などの最先端研究施設が研究開発を 重視する企業を引き付け始めた。また、研究施設だけではなく、県立粒子線医療センターや播磨リハビリテーションセンターなどの医療・福祉・健康施設の設置 が進み、医療健康都市としての充実も期待される。
サイエンスシティというと、無機質な幾何学模様の建築物が建ち並ぶ街並みを想像してしまいそう だが、播磨科学公園都市は20年の時を経て緑あふれる都市になりつつある。商業施設が少なく、賑わいが不足していることは否めないが、訪れてみると、日本 の科学技術を支え、かつ環境と調和する理想的な都市の実現は決して不可能ではないとの思いを強くする。緑の樹海に浮かぶ建物の中では、世界の通説を変えて しまうかもしれない最先端の研究が行われている、そんな街がゆっくりと形成されることを期待したい。
(黒田 明良)