シリーズ「愛媛の『名工』をたずねて」第2回は、独特の技法で鬼飾りを作る、建築板金工の久保賀運氏を紹介する。
板金一筋60年!まさに「現代の名工」
神社仏閣等の屋根を見上げると、棟の先端などに、鬼瓦や銅板でできた鬼飾りを見ることができる。これらは、魔よけと装飾を目的としていることから、その造形は複雑・繊細で芸術性が高く、鬼瓦や鬼飾りを作る職人は、昔から「鬼師」と呼ばれ敬われてきた。
久保さんは、神社仏閣等の銅板屋根工事を主体に手がける建築板金工で、全国でも珍しい鬼飾り職人である。作業着に鉢巻姿と、いかにも職人らしい風貌であるが、笑った顔は「鬼師」といういかつい呼び名とは程遠い、とてもやさしい顔をした方だ。15歳でこの道に入り、以来板金一筋60年。手がけた神社仏閣工事は、県内を中心に100件ほどにのぼる。雲辺寺(徳島県三好市)や横峰寺(西条市)など、四国霊場八十八ヶ所でも多くの屋根修理等に携わってきた。
その卓越した技術と長年にわたる功績により、2003年に「卓越した技能者の厚生労働大臣表彰」いわゆる「現代の名工」に選ばれ、2006年には「黄綬褒章」を受章している。
オイルショックがきっかけで
久保さんは、15歳の時に、手に職をつけようと親戚の板金店で修行を始め、その後松山の業者に弟子入り。21歳の時に、大洲に戻って「久保板金店」を開業した。当初は、住宅や体育館の屋根などの板金工事が主体であったが、オイルショックによる不景気のため、一般の板金工事が減少し始める。「このままでは仕事がなくなってしまう、何か新しいことを始めなければ」と考えていたとき、旅行で立ち寄った九州の神社で鬼飾りに出会った。
鬼飾りは、通常、木を彫って原形を作り、厚さ0.3mmほどの薄い銅板を貼って作られる。その神社の鬼飾りは、中の木が朽ちてぼろぼろになっていた。「他の神社の鬼飾りも同じに違いない。もっと丈夫で長持ちする鬼飾りを、銅板だけで作れないだろうか・・・」と、久保さんの試行錯誤が始まった。
「もともと職人の世界は、誰かが技術を教えてくれるものではない。まして銅板だけの鬼飾りなど、誰も作ったことがない。失敗を繰り返しながらも、とにかく叩いた。うまく叩けたかどうかは、銅板を見れば分かる。そうして少しずつ感覚を覚えていったんよ」
そして、厚さ1.2mmの銅板をかなづち1本で空打ちして作る技法(プレスのように型に当てて造形するのではなく、かなづちで叩いて形を作っていく方法)にたどり着いた。この方法であれば、木を使わないので朽ちることもなく、また、かなづちを打ち続けることで、表面には何とも言えない光沢が浮かび上がった。
ちょうどその頃、宇和島と大洲のある神社で、屋根の改修工事が行われようとしていた。久保さんは神社関係者や設計業者・建築業者に鬼飾りの試作品を見せ、自分に請け負わせてほしいと訴えた。
「『こんな立派な鬼飾りは見たことない。鬼飾り作りはお前に任せる』と言われた」と、久保さんはその時のことを嬉しそうに話された。
こうして久保さんは、神社仏閣の屋根工事を本格的に手がけるようになった。それからというもの、ほとんど毎日のように銅板を叩き続けているという。「休みの日もカンカンカン叩きよる。盆も正月もない。むしろ人が来んけん集中できる」と笑って話されたが、卓越した技術は、こうした並々ならぬ努力によって蓄積されていったのである。
銅板に魂を込める
「鬼飾りを叩くところを見ていくか」と一声かけてくださり、久保さんの作業が始まった。椅子に腰をかけると、切り株の台に取り付けた金床に作りかけの鬼飾りをあてて、かなづちを打ち始めた。やわらかな笑顔が引き締まり、いつの間にか職人の顔に変わっていた。カンカンカンという音とともに、銅の色が浮かび上がり、ほんの少しずつ形が変わっていく。叩くところを少しずつ変えながら、作業が進む。こうした作業が延々と続き、約1ヵ月間で作品が出来上がるそうだ。
「銅板を叩くことはそんなに難しいことではない。しかし、叩く力、叩く場所を加減しながら、丁寧に叩き続けるのはものすごく根気がいる。ずっと叩き続けるのではなく、冷ましも必要だから時間がかかる。これに人生をかけてないと、なかなかできんことよ」
久保さんにとって、かなづちで銅板を叩くことは、作品と会話をしているようなものだという。そして、自分でも満足できる作品が出来たときには、真っ先に奥さんに見せて喜びを分かち合うのだそうだ。
かなづち1本で芸術を生み出す
「銅は柔らかいから、叩けばどんな形にでもなる」という言葉どおり、久保さんは、鬼飾りだけでなく、様々な物をかなづち1つで生み出している。
上の写真のつぼは、一枚の平らな銅板を、かなづちで叩いて作ったものである。
丸く切った銅板を、縁の方からカンカン叩いて曲げていく。逆さにすると皿のようだ(写真1)。さらに叩き続けると傘状になり(写真2)、やがて鉢状になる(写真3)。大きさも縮まってその分厚くなり、最初は厚さ1.2mmだった銅板が、全体的に2mm程度、厚いところでは3mm程度になるという。さらにほっそりするまで叩き続け、首の部分を絞り込む(写真4)。整形のために端を少し切り落として、表面を磨き、ニスを塗ると、見事なつぼの完成だ。
また、表面にのこで穴をあけ、やすりで模様をつけていくと、あたかも竹で編んだかごのような花器になる。下の写真は、久保さんがつぼを作り、息子の秀典さんが模様をつけて花器に仕上げた、親子合作の作品だそうだ。
ご自宅には、この他にも、様々なつぼや花器をはじめ、鬼板やしゃちほこのミニチュアなどが保管されている。最近では、作品展も開かれるようになり、鬼飾りとともに、こうした作品も出展しているそうだ。現在は、つぼの底を切り抜いて筒状にし、それを組み合わせた屋根飾りの製作に取り組んでいる。
人のためにできること
久保さんの思い出に残る作品の1つに、神戸・生田神社の鬼飾りがある。「1995年の阪神・淡路大震災の惨状をテレビで見て、何か役に立てないか」と思い、「鬼飾りなら僕が作れる」と申し出た。すぐにでも神戸に駆けつけようとしたが、当時の神戸の交通状況はひどいありさまで、実際に訪れることができたのは震災の1年後であった。さっそく寸法などを測って帰って、製作に取り掛かり、出来上がった鬼飾り5つを無償で寄贈した。
「自分だけが良かったのではいかん」というのが、久保さんの口癖である。それを実践するように、久保さんは、日本赤十字社の活動にも積極的だ。「1つ仕事してお金をもらったら、寄付や救援金として、赤十字に少しずつ持っていきよるんよ」と照れながらおっしゃった。このようなお話を聞くと、久保さんが「現代の名工」に選ばれたり「黄綬褒章」を受章されたりし たことはもちろん、神社仏閣の仕事に携わることになったのも、決して偶然ではなかったように思われる。
めざすは日本一の職人
目標は日本一の職人になること。数々の栄誉を手にされた今も、さらなる修練に余念がない。夫婦円満で、75歳となった今でも仕事に打ち込んでいるのが、元気の秘訣のようだ。これからも、久保さんのかなづちが生み出す芸術作品に期待したい。
(福本 太一郎)