「愛媛の登録有形文化財」の第4回目は、「住まいを見る」として、四国中央市の「古今荘」と松山市の「森家住宅主屋」を紹介する。
古今荘は、旧川之江市の上分町、古い建築が並ぶ旧土佐北街道に面して建つ。
創建時期や大工棟梁などの詳細は不明ながら、旧小松藩の萩生村(現在の新居浜市中萩)庄屋飯尾家によって明治初期に建てられたとされる。その後、明治30年頃に現在地に移築されたと伝承されている。
現在は、地元の丸住製紙株式会社の別邸となっている。先代社長が戦後まもなく購入し、慶事や要人の宿泊などに使用されていた。近年、経年劣化で雨漏りなどが発生し、平成11年(1999年)に屋根の葺き替えや畳表の張替えなど原形を留める形で補修された。
建物は、玄関部分と部屋部分の大屋根が段違い構造になっているため、正面玄関から見ると2階建を思わせるが、建物自体は平屋である。玄関から「三之間」、「次之間」、「上之間」と2間半の間口で3室続く全ての部屋に床の間があり、天井も高い。この建物が住居でなく、客殿として使われていたことは瞬時に想像できるが、欄間や床の間などへの華美な装飾は控えた「質実剛健」の造りから、3室合わせて約40畳の広さには威圧感がなく、ゆったりとした空間に仕上げられている。
奥に広がる日本庭園も、建物と一体となって客人を迎えるが、広縁にある障子の中央ガラス部分はまるで額縁のように見える。そのガラスには、製造時にできた虹のような筋模様があり、細部の美からも建物の格式の高さをうかがい知れる。
古今荘には棟札がなく、大工棟梁の名前はどこにもないが、移築の際にできる隙間や傷などの痕跡がほとんど見られず、同じ大工棟梁が建物の新築・移築を手がけたのではと伝えられている。丁寧かつ精緻な仕事が100年以上しっかりと残っており、大工棟梁の高い技術力がうかがえる。
現在、古今荘では、現社長の奥様が中心となる有志により、プロの演奏者を呼んだ公演が時折開催されている。木造と高い天井によって音がやわらかくなるなどの効果を生み、演奏者からの評価も高い。
取材時、奥様は「公演は手づくり。準備には時間や手間がかかり、費用もかかる。でも、地元の子どもたち、若者にも一流の文化・芸能に触れてもらいたい。純和風建築の中で日本の素晴らしさを感じ、日本人としての誇りを持って、世界に羽ばたいて欲しい」と熱く語ってくださった。
古今荘は、明治初期の建築技術の高さを物語っていることはもとより、代々の所有者の想いをつなぎ、役割を変えながら今もなお現役として活用されている。後世にまで保存され、建築技術と文化芸能の伝承の場であり続けることを願う。
参考文献
愛媛県教育委員会(2006):愛媛県の近代和風建築-近代和風建築総合調査報告書
(新藤 博之)
犬伏武彦EYE
門をくぐると、屋根の姿に目がとられる。むくり(上向きに反った)屋根の上に入母屋の照り屋根(曲面で下向きに反っている形)が重なった形…それだけでも特別の建物と感じさせる。客殿として建てられたと伝えられるとおり、玄関式台の前に立つと客間三室が遠近図法のようにつながり、その先に陽を受けて輝く庭が額縁の中の絵のように見える。大工が選んだ木や木目の使い方にも目をとられるが、塵一つなく、100年以上も前に建てたと思わせないほど手入れされていることに、頭が下がる思いをもった。
(松山東雲短期大学 生活科学科生活デザイン専攻 特任教授)