「武徳殿」は新居浜市の中心部にある市民文 化センターの向かいに建つ。昭和13年(1938年)、新居浜市初代市長・白石誉二郎と住友各社の寄付により建築された武道場である。
建築当時は、満州事変が勃発した頃であった。この時期、国策として武道振興が図られたこともあり、全国各地に武徳殿が建設されている。新居浜市の武徳殿完成の2年前には、西条市にも建てられている。全国で盛んに建造された武徳殿であるが、新居浜のように、70年以上経った今も現役の武道場として地域の人々に利用されているものはほとんどない。
武徳殿の維持管理を行うのは指定管理者である新居浜市文化体育振興事業団であるが、利用日時の調整や日々の清掃等は、「武揚会」という市民組織によってなされている。武揚会には、柔道、剣道、空手、居合、拳法の愛好者グループが属している。柔道・剣道については毎朝6時から練習が行われており、幅広い年齢層の人々が心身の鍛練に励んでいる。摺りガラスの高窓から差し込む光が反射するほどに磨き上げられた床板が、長く市民に愛されてきたことを物語っている。
武徳殿とは、もともと平安京の大内裏にあった殿舎の一つで、武芸に秀でた者を集め天覧を行うなどした建物であった。昭和期に建てられた武徳殿も、多くがそれを模した「社殿形式」である。中央の土間玄関から中に入ると、正面に神棚が設けられており、ここが身体のみならず精神を鍛練する神聖な場であることを感じさせる。
内部は、広々とした道場が、畳敷きの柔道場と板張りの剣道場に分けられている。板張りの床の下は、衝撃を和らげるためスプリング構造になっている。また、足を踏み込む音などが勇ましく鳴り響くよう、床下に壺を埋め込んでいるらしい。道場部分の外周をぐるりと回廊が巡る造りとなっており、一段高くなったこの部分が観覧席となる。
外から見ると、この回廊部分に屋根が張り出し、二層の屋根になっている。建物内部で回廊部分と道場部分を区切る24本の丸柱が、主屋根を支える役目も果たしている。そして二層の屋根が、堂々とした風格のある外観を生み出している。
大棟には立派な鯱が飾られ、棟瓦には「武徳」の文字が見える。
建築時期は章光堂より新しいが、純和風に回帰したこの武徳殿の姿は、国威高揚が叫ばれた時代の空気を表したものであったのだろう。
戦後、社会の価値観が大転換する中で、多くの武徳殿が姿を消していった。西条市のそれも、保存を願う市民の運動があるものの、解体の方向にあると聞く。
新居浜の武徳殿は、人が使ってこそ建物が生きるのだということを強く感じさせてくれる。
参考文献
愛媛県教育委員会(2006):愛媛県の近代和風建築-近代和風建築総合調査報告書
(上甲いづみ)
犬伏武彦EYE
建物を形造るものの一つに、時代がある。昭和10年代、戦時下における青少年の心身鍛練の場として「武徳殿」が全国各地に建設された。車寄せの玄関、入母屋造りの上に千鳥破風を重ねた建物の姿は寺社建築の様式を採りいれたもので、伝統文化である武道を学ぶ場にふさわしい形であった。「重みがある。伝統的な雰囲気の空間は、武道に励むのにふさわしい」と、時代が変わった今も「武徳殿」には多くの市民の姿を見る。心身を鍛える場として、歴史を刻んだ建築文化財が活かされているのであった。