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愛媛の登録有形文化財

旧加藤家住宅(大洲市)

2011.01.01 愛媛の登録有形文化財

今回は、『大洲』と『住宅』をキーワードに、大洲市の「旧加藤家住宅」と伊予市の「福田寺」を紹介する。
 旧加藤家住宅は、大洲盆地のほぼ中央、大洲城本丸から少し南に離れた大洲高校前の「お殿様公園」内に建つ。同敷地内には、国指定重要文化財の大洲城三の丸南隅櫓みなみすみやぐらがある。また敷地の南側と東側は、かつて巨大な堀であったが、現在は大洲小学校のグラウンドとなっている。
 廃藩置県により家老に払い下げられていた当敷地を、明治中頃に旧大洲藩主の加藤家が購入し、加藤家財産の管理事務所を置いていた。大正14(1925)年に、当時東京に居住していた旧大洲藩主の末裔、故・加藤泰通氏が大洲の住居として新築。その後、本格的に大洲に居住するようになると、主屋の西側に渡り廊下でつながれた離れを増築し、晩年、生活の中心は離れに移っていたようである。
 なお現在、当住宅は南隅櫓および敷地とともに大洲市が所有・管理している。

画像:二階大廊下東側の客間

二階大廊下東側の客間

建物は、寄棟造の木造総二階建てで、檜の角柱が使用されており、一見すると“古風な豪邸”といった印象だ。正面に立つとまず目に入るのが、隣り合わせに並ぶ2つの玄関である。向かって右手に両開き扉の「主玄関」、左手に引き戸の「内玄関」があり、前者は主に主人と客人、後者は家族の者と、使い分けがされたと考えられている。二階に上がると、中央部に一間幅の大廊下を挟んで、東西に2部屋ずつ配置されている。大廊下東側は南から6畳間と8畳間があり、8畳間には畳床、違い棚、付け書院を備えていることから、客人を迎える表向きの部屋、西側は、押入を持つ部屋があることから、家族が使う内向きの部屋と考えられている。時代が移ってなおも、江戸時代の格式や身分制度を残していたことがうかがえる。
 一方で、当時としては最先端のシステムキッチンや、人造石(テラゾー)・タイルを用いた洋風の便所が備え付けられている。また、二階の三方(東・南・北面)には縁側をぐるりと巡らし、ガラス障子にすることで、明るく開放的な造りとなっており、当時としては近代的な高級住宅でもあったようだ。

画像:明るく開放的な二階縁側

明るく開放的な二階縁側

このように、当住宅は、身分によって玄関や部屋を分けるなど格式を重んじた封建的な特徴と、採光や風通しに配慮し、日常の住み心地の良さや利便性を追求した近代的な住宅としての特徴がミックスしていることがよくわかる。厳格な身分制度に縛られた封建的な時代から、近代国家として成長していく過渡期にあった当時の時代背景を象徴している建物という点で、歴史的に重要な意義を持つ。

画像:二階縁側から見た大洲城本丸

二階縁側から見た大洲城本丸

当住宅は、1977年に公開された映画「男はつらいよ寅次郎と殿様」のロケ地にも使用された。公開から30年以上経った今でも、全国から寅さんファンが見学に訪れるそうだ。普段、建物内部は非公開だが、事前に申し込めば見学も可能とのこと。訪れた際は、ぜひお殿様になった気分で二階縁側からの趣のある景色を堪能していただきたい。庭に植えられた花木の四季折々の風景もさることながら、北面の縁側からは大洲城本丸、東・南面からは南隅櫓と、往時は豊富な水を湛えていたであろうお堀の石垣を見ることができる。かつての城下に住まい、この景色を眺めた藩主末裔の想いとは何であったか。しばしの間、思いを馳せてみてはいかがだろうか。

(森 夕紀)

参考文献
愛媛県教育委員会(2006):愛媛県の近代和風建築-近代和風建築総合調査報告書

犬伏武彦EYE

大正14年12月19日、外堀を見下ろす三の丸櫓のそばに加藤家邸宅の上棟式が催された。伊予大洲藩の時代から60年近く経った日のことだが、旧藩士もその家族もおられたことだろう。「お殿様が、大洲に住まいを建てられた…」喜びの声があちこちから上がったに違いない。建物は総二階建。二階の三方にガラス障子を巡らした新しさと同時に、格式を重んじた伝統も合わせもつ住宅である。「木匠棟梁・久保茂。左官・大本浅太郎。柳瀬山御所有林木約二万才にて建築。設計並工事担任家扶(華族の傭人の意)神山吉物」と、棟札に記されている。

(松山東雲短期大学生活科学科生活デザイン専攻特任教授)

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