「愛媛の登録有形文化財」の第7回目は、江戸・明治の農村景観を現在に残す、久万高原町の「極楽堂」と「旧石丸家住宅主屋」を紹介する。
「極楽堂」と「旧石丸家住宅主屋」は上浮穴郡久万高原町の下畑野川にあるレクリエーション施設、「久万高原ふるさと旅行村」内に建つ。同施設内には、上記2つの登録有形文化財の他にも、宿泊することができる古民家(旧渡邊家住宅主屋)、炭焼窯、水車小屋、手作り館、山村資料館などがあり、農山村の暮らしや、昔の人の知恵や工夫を体感することができる。
「極楽堂」は、明治31年3月に地元の大工の棟梁である大下小太郎の手によって旧の父二峰村(現在の久万高原町二名)に建てられ、昭和52年に現在の場所に移築された。
明治後期の建築ではあるが、江戸時代の「辻堂」の形式を残しており、当地方の古い社寺建築の形式を伝える貴重な建築物である。
古くから、農村には氏神の社があり、それぞれの組には、仏をまつる「辻堂」があった。久万高原町の町内には、「極楽堂」のほかにも、遍路道の四辻には「辻堂」が点在していたそうだ。
そこでは、四季を通じて念仏講などの催しが営まれ、組中のものが集まって語り合い(時には酒を酌み交わし)、仲間意識を育む場ともなっていた。また、「極楽堂」は建築当時、四国遍路の道筋にあったことから、お遍路さんの仮眠の宿としても利用されていたようだ。
建物は、建築面積36m2と小さく、正方形の形をしたシンプルな木造平屋建てだが、石つき(基礎部に自然石を並べ、その上に柱を建てたもの)の柱が、建物をより立体的に見せている。また、一つ一つ微妙に大きさや形の異なる自然石にあわせて削られた柱は、現在の工業化住宅にはない人の手の温もりを感じさせる。
屋根は鉄板葺で、形は比較的小規模な建物によく使われる宝形造(4枚の三角形を組み合わせた四角錐のような形)である。軒下には、社寺建築に用いられる組物(屋根を支える木組)がみられ、36m2の小さな建物でありながら、がっしりと屋根を支える姿は力強さを感じさせる。
内部に足を踏み入れると、最初に格天井が目を引く。郷土の植物をテーマに描かれた絵が天井一面にはめ込まれており、「辻堂」を色彩豊かなものにしている。建物の奥にはお地蔵様を祀り、壁には「家内安全・五穀豊穣」と書かれた大きな札がかかっていることから、ここが地域社会の集会所であると同時に、身近な信仰の場でもあったことを示している。
「極楽堂」は当地方の古い社寺建築の形式を伝える建物であることはもとより、現在では薄れてしまった人と人とのつながりや農村の素朴な生活のにおいを感じさせてくれるものであった。
(松本 直丈)
参考文献
久万町教育委員会(1978):文化財読本
犬伏武彦EYE
極楽堂には、棟札が残されている。そこには、「観音地蔵尊堂組内安穏諸人快楽」、「明治31年陰暦4月」、「大工棟梁大下小太郎」、「世話人寺岡弥三朗ほか3名の村人の名」などが書かれている。建築を任された棟梁・木下小太郎の誇らしい気持ちや世話人達の動きまで見えてくる。格天井を飾る色鮮やかな植物の絵が、お堂の普請を喜び祝う村人の姿を髣髴させる。棟札や村人の寄進した天井絵が残されていることによって113年も前の日が、人の気持ちが、今に伝わるのである。
(松山東雲短期大学生活科学科生活デザイン専攻特任教授)