「末永家住宅」は、伊予灘の素晴らしい景色が見られる国道378号からやや内陸に入ったところ、同じ登録有形文化財である「長浜大橋」からも近い場所に位置している。末永家住宅のうち、旧主屋と百帖座敷が有形文化財に登録されている。
末永家は、代々長浜で回槽業を営んでいたが、明治期の当主である末永四郎平は、穀物や木材、肥料なども取り扱うようになり、事業を拡大した。また、町議会議員を5期務め、1935(昭和10)年には町長も務めるなど町政でも活躍した人物である。
末永家住宅は、2004年に旧長浜町に寄付されていたが、老朽化による雨漏りなど傷みが目立っていたことから、このほど修復・一部解体工事が行われ、様相を新たにした住宅を目にすることができる。
末永家住宅の建物の中で最も古い旧主屋は、土蔵造2階建てで1884(明治17)年に建築された。1階には格子付窓、2階にはなまこ壁など特徴的な外観をしている。1階部分は末永商店の店舗兼居宅として使われ、建築当初は物置として使われていた2階は、その後に天井を張り、居室としても使用できるよう改築されている。
百帖座敷は入母屋造・桟瓦葺の建物で、栂や杉など木目の細かな良質の木材が使われている。建築年代は不明ながら、座敷に備えられた襖絵から1927(昭和2)年に建築されたと考えられており、内部は18畳の2間続き、5畳の付属室も備えている。
かつては傾斜のある渡り廊下で茶室とつながっていたが、老朽化が激しかったため、現在では茶室は解体されている。
百帖座敷は祭りや正月の賄い、敬老会に使われるなど地域の公共的な接客用施設だったと考えられている。座敷のうち、床の間のある部屋は印象的である。和風住宅の外観とは様相をやや異にしており、合板による折上げ格天井とそこから下に伸びるシャンデリアは洋風にもかかわらず、その全容には社寺建築の雰囲気も醸し出されており、訪れた人の目を引く。
座敷に設けられた襖絵も特徴的で、松や竹の描写が歴史を感じさせる。床の間には奇木(めずらしい木)や黒柿も用いられており、木材一本一本の選定に時間と労力をかけたことがうかがえる造りになっている。
末永家住宅は、年末・年始(12月29日~1月3日)を除いて、午前9時から午後5時まで公開されている。入場は無料であり、長浜大橋など長浜地区の観光に立ち寄った際には、末永家住宅に足を延ばし、昔の商家のたたずまいを目にしてみてはどうだろうか。
(辻井 勇二)
参考資料
愛媛県の近代和風建築-近代和風建築総合調査
報告書-(愛媛県教育委員会)
犬伏武彦EYE
1927(昭和2)年に建築された越智家住宅隠居所は「木造建築の教科書」と言えるほど、そこかしこに選び抜かれた木材、知恵をめぐらした細工に目をとられる。普請を任された棟梁、吉田吉之助の姿が浮かんでくるようだが、建築された時代も見えてくる。
このような建物を生み出した壬生川は、道前平野の玄関として栄えていた。商店の建ち並ぶ本河原通は、堀川の港に通じる物資の集散地として栄え、賑わっていた。
越智家住宅の価値は、壬生川の歴史を思い起こさせる貴重な文化財であるとともに、地域が持つ力や個性を失うことのないように…、と建物が語りかけていることであると思う。
(松山東雲短期大学生活科学科生活デザイン専攻特任教授)