熊本県天草地方が、日本一の陶石産地だということをご存知だろうか。天草地方では、単に陶石の産地としてだけでなく、その陶石を使った陶磁器の産地として知名度向上を目指している。今回は、天草陶磁器のブランド化とそれを活用した観光振興の取り組みを紹介する。
良質な天草陶石
天草諸島は熊本県の南西部に位置し、周囲を青く美し い海に囲まれた天草上島と天草下島、御所浦島などで構成されている。そのうち陶石の採れる天草下島は、天草市と苓北町の1市1町から成る。天草下島の西海岸で採掘される陶石は「天草陶石」と呼ばれ、年間約2万トンが出荷されており、全国の陶石生産量の8割近くを占めている。ピーク時と比べると減少しているものの、数万トン単位で採掘されているのは、全国でも天草だけだと言う。天草陶石は有田焼や波佐見焼、清水焼など全国の有名な焼物をはじめ、高圧がいしや宇宙船の耐熱材にも使われている。砕きやすく成形しやすい上、粘土を混ぜることなく単独で焼物にできる。またその焼き上がりは硬く、濁りのない白色が特徴だ。
こうした陶石の発見は、17世紀中頃から18世紀初頭のことと言われており、江戸の才人平賀源内が「天下無双の上品」と絶賛した、という記録も残っている。
天草陶磁器の歴史
天草の窯元の歴史は古く、高浜村(現天草市天草町高浜)の庄屋で、6代目の上田伝五右衛門が1762年に開窯したという記録が残っている。伝五右衛門には、豊富で高品質な陶石で村を豊かに、また元気にしたいという思いがあり、生まれたのが天草の陶磁器だ。
その後、水の平焼、丸尾焼など、現存する窯が次々と開窯されていくが、当時の天草は天領(幕府の直轄領)だったので、他の産地のように、藩による援助や、藩に焼物を献上する役割などはなかった。そのため、天草陶磁器には全体に共通する特徴がなく、それぞれの窯元が独自の個性を持って発展を遂げてきた。そのなかでも多いのは、日常使いのシンプルな花器や食器で、陶器と磁器の両方が作られている。
「陶石の島から陶磁器の島へ」
九州には、日本の磁器発祥の地である有田や、茶碗や食器類で国内トップクラスのシェアを誇る波佐見など、広く名の知られた焼物産地が多数あることも影響し、天草の陶磁器の知名度はあまり高くなかった。
そんななか、2000年に開催された第13回県民文化祭「ミレニアム天草」での国際陶芸シンポジウムにおいて、「陶石の島から陶磁器の島へ」と題した決議文が採択され、天草市は、2001年度からの3年間、「陶芸のまちづくり事業」を実施した。そして2003年には、天草陶磁器が国の伝統工芸品に指定された。
天草大陶磁器展
天草市は2004年から、毎年11月の第1週に「天草大陶磁器展」を開催している。以前から、西海岸など一部地域で窯元が集まる陶器市などは開かれていたが、この大陶磁器展は、天草全域の窯元が一堂に会するとともに、九州内外から約80の窯元が集まる、今や熊本県下最大級の陶磁器展となっている。
期間中は、展示販売のほか、画家の鶴田一郎氏など著名な作家を審査員とした全国公募の陶芸コンテスト、ろくろ・絵付け体験、講演会、パネルディスカッションなどの様々な企画を併せて行っている。さらに、天草市の本渡中央商店街では、空き店舗をギャラリーに見立て、陶磁器に限らずアート全般に関する作品を展示する「街中ギャラリー」も催されている。
開催当初の来場者数は1万人程度であったが、その後は順調にその数を伸ばしており、現在では3万人を超えている。そのうち、天草島外からの来場者が約4割を占めている。熊本市発の日帰りバスツアーの旅行商品にも組み込まれているそうだ。
アーティスト・イン・レジデンス
2009年度からは、地元陶芸家の育成と地元住民の陶磁器に対する理解・関心を高めることを目的として、「アーティスト・イン・レジデンス in AMAKUSA」と銘打った取り組みも行われている。これは、年に数回、国内外の著名な陶芸家や若手作家などを招聘し、天草に一定期間滞在してもらいながら、公開制作やワークショップ、地元作家との共同制作を行う事業だ。今すぐに観光などに結びつく取り組みではないものの、長い目で見て、地場産業としての天草陶磁器の持続的な成長に寄与することが期待されている。
窯元めぐり
2000年にシンポジウムが開催される以前、天草市内の窯元は13軒であったが、2012年現在では25軒、天草地域全体では32軒となっている。新たな窯元が誕生する経緯としては、古い歴史を持つ窯元で修行した陶芸家が独立したり、天草島外から移住してきた人が開窯したり、サラリーマンが退職後に始めたりと様々だ。着地型旅行商品として、これらの窯元をめぐり、買物はもちろん、手びねり・絵付け体験などができるツアーが催行されている。市の担当者は、「天草には、複数の窯元の作品が購入できる大規模な施設はないが、実際に窯元を回ってもらうことが天草全体の観光につながる」と話す。
他の観光資源との回遊性
天草は、国立公園に指定された自然景観、16世紀初頭に伝えられた南蛮文化やキリシタンの歴史、マリンレジャー、温泉、豊富な海産物など、多くの観光資源に恵まれている。天草市では、それら豊かな資源と天草陶磁器を併せて、天草全体の魅力向上に努めている。市内の飲食店・ホテルで天草の食材を使った料理を提供する「本渡丼どんフェア」や「AMAKUSA さらだ」という企画では、天草陶磁器が器として使用され、イベントの盛り上げに一役買っている。
天草陶磁器のシンボルづくり
暖かく素朴な風合いで「土もの」と呼ばれる陶器と、ガラスのような滑らかさや硬さを持ち「石もの」と呼ばれる磁器の両方が作られている産地はあまり多くない。先に述べたように、天草陶磁器は、色、柄、手触り、質感などどれをとっても、各窯元によって様々だ。窯元ごとに全く違った個性があり、自由な風土で発展してきたとも言える。古い伝統に縛られることなく、焼物産地として長く続いてきたことは、間違いなく誇るべき点であろう。しかし、天草陶磁器振興協議会会長の木山勝彦氏は、「今後は天草陶磁器のシンボルとなるような作品をつくる必要がある」と話す。
木山氏は、苓北町にある天草陶石を採掘する陶石会社の代表であり、窯元「内田皿山焼」を開窯した陶芸家でもある。天草陶磁器の名を全国に広めようと、島内の窯元に呼びかけて協議会を発足し、国の伝統工芸品指定に向け中心となって取り組んだ。一言で言い表せないのが天草陶磁器の特徴と言われてきたが、これからは、審査会などを通して、天草の陶磁器と言えばこれだ、という代表作を生み出していく必要があると考えているそうだ。
天草陶磁器の多方面での活用
天草では、今後も様々な分野で天草陶磁器を活用した取り組みを行っていく方針だ。
天草大陶磁器展やアーティスト・イン・レジデンス事業を引き続き実施・拡大していくとともに、大陶磁器展の期間中に開催されている「街中ギャラリー」を通年で行えるよう準備を進めている。陶磁器を中心としたアートを活用した街づくりで、産地としてのブランド化と観光の魅力向上、そして地域活性化を目指す。
また、すでに修学旅行や研修旅行などの教育旅行の行程にも組み込まれている作陶体験を、家族やグルメ、長期滞在などをテーマとした様々な観光プランと結びつけて、幅広い層の人を惹き付けるまちになることが期待されている。
おわりに
天草陶磁器のブランド化と観光を結びつけたこれらの取り組みについて、天草市は昨年、日本観光振興協会の「産業観光まちづくり大賞」で銀賞を受賞した。体験・教育・研究・買物など、陶磁器をテーマとした多様な分野の活動が評価されたのだが、窯元など関係者からは、「まだまだ道半ば」という声が聞かれた。
現状では、天草陶磁器の全国的な知名度は決して高いとは言えないだろうが、天草を代表する観光資源のひとつとして、そして地域に根ざした産業として、今後のさらなる発展が期待される。
(門田 真理子)