愛媛の島シリーズ第4回は、「みかんと太陽とトライアスロンの島」として知られる松山市の中島(本島)を紹介する。
島の歴史・島名の変遷
中島は、松山市の高浜港から高速船で約30分の距離にあり、瀬戸内海の安芸灘と伊予灘の境に位置する忽那諸島の中で最大の面積と人口を有する島だ。6つの有人島と多くの無人島からなる中島地域(旧中島町)の中心的な島でもあり、島内には市役所中島支所が置かれている。
島内から縄文時代の土器片が出土するなど、その歴史は先史時代まで遡る。また、奈良時代には島が法隆寺の寺領(荘園)となっていたことが、当時の文献から確認できる。
ところで、現在の「中島」に至るまで、島名は時代とともに変遷している。奈良時代の文献には「骨奈嶋」と記されているが、平安時代になると「忽那島(嶋)」と呼ばれるようになった。また、江戸時代には、島内に大洲藩領、天領(大洲藩預領)、松山藩領が混在し、大洲藩側は従来の「忽那島」と呼ぶ一方、松山藩側は「風早島」と呼んでいたそうだ。
「中島(嶋)」という名称は、室町時代初頭から島の通称として使われ始め、明治の市町村合併で島内に誕生した2村(東・西中島村)の名称において、公式に使われるようになった。その後、東中島村の町制施行や昭和の市町村合併を経て、1963(昭和38)年には、全島が旧中島町の一部となった。
なお、島と旧中島町全域を区別するため、住民は「中島本島」あるいは単に「本島」と呼んでいる。
忽那水軍の拠点
平安時代後期、藤原親賢という人物が島の開発領主となり、忽那氏を称したとされている。忽那諸島は瀬戸内海の海上交通の要衝であったことから、その後、忽那氏は海上に勢力を伸ばした。忽那水軍(忽那氏)は、一時期、瀬戸内海の制海権を掌握するほどの勢いを示したものの、徐々に勢力が衰え、豊臣秀吉の四国平定(1585年)によって姿を消した。
現在では、忽那水軍の拠点であった「泰ノ山城跡」や、南北朝時代に忽那水軍の黄金期を築いた忽那義範の誠忠を讃えた「忽那義範公表忠碑」などに往時を偲ぶことができる。
また、島では、かつて海運業も盛んであったため、島の北東部、中島粟井地区にある桑名神社には、島を通る廻船問屋から奉納された船の絵馬が多数保存されており、全国的にも貴重な文化財となっている。
みかんの島
中島は、温暖な気候と傾斜地を活かしたかんきつ栽培が盛んで、県内有数のみかん産地として知られている。取材時(5月7日)は、ちょうどみかんが開花する初夏であったことから、島にはみかんの花の甘い香りが広がっていた。
島における温州みかんの栽培は、明治時代に、篤農家で木綿縞の行商もしていた森田六太郎が苗を持ち込んだのが起源と言われている。それ以降、かんきつ栽培が広がるとともに、太陽の光と海からの反射光を浴びて育った高品質の中島産みかんは阪神地区を中心に人気を集めていった。
1964(昭和39)年には、旧中島町のかんきつ生産量が3万トンを突破し、「中島町の人口、面積は日本の1万分の1、みかんは100分の1」というのが当時の町民の誇りとなったそうだ。
現在では、伊予柑や温州みかんの価格低迷を受け、カラマンダリン、紅まどんな、せとかといった有望品種の栽培も進められている。
なお、島の傾斜地を活かしたかんきつの栽培風景は、国土交通省「島の宝100景」にも「ミカンの天国」として選定されている。
トライアスロンの島※
島における夏の風物詩は、何と言っても「トライアスロン中島大会」だ。この大会は、1986(昭和61)年に四国初のトライアスロン大会としてスタートし、今年で28回目を迎える。毎年、県内外から多くの参加申込みがあり、参加者を抽選で決めるほどの人気ぶりだ。
この大会は、メイン会場の姫ヶ浜海水浴場を中心に島全体を使った自然豊かなコースが特徴で、8月下旬の大会当日には、約500人の選手に加えて、その家族や観客も訪れるため、島全体が祭りのような賑やかさになる。
この大会は競技自体ではなく、「トライアスロンを通じた選手と住民の交流」を目的としており、選手はレース前日から島に宿泊して前夜祭に参加することが原則となっている。そして、選手の宿泊先として、旅館、民宿、公民館などのほか、ホームステイ形式を採用していることも大きな特徴だ。中には、ホームステイを通じて、交流を続けている選手と島民もいるそうだ。また、島民を中心に約800人ものボランティアスタッフが大会運営を支え、レース中にはさらに多くの島民が沿道から大きな声援を送っている。この全島を挙げたアットホームな雰囲気が大会の大きな魅力となっている。
※トライアスロン…スイム(水泳)、バイク(自転車)、ラン(ランニング)の3種目を続けて行う競技。距離によって、長い順に、ロング、ミドル、オリンピック(ショート)、スプリントなどに区分される。中島大会は、スイム1.5km、バイク40km、ラン10km のオリンピック(ショート)で、制限時間は4時間。
島のレジャー
中島は、ほぼ全域が瀬戸内海国立公園に指定されており、豊かな自然が魅力となっている。夏には、大串キャンプ場や、トライアスロン大会のメイン会場となっている姫ヶ浜海水浴場などでアウトドアレジャーを楽しむことができる。
なお、姫ヶ浜海水浴場では、2007年から毎年夏に「ビーチサッカーフェスティバルin 中島」も開催されており、多くの愛好者によって熱戦が繰り広げられている。
また、島はカレイやメバルなどの魚介類も豊富であり、1年を通して魚釣りを楽しむこともできる。なお、島の活性化に取り組むNPO法人「輝け中島」では、毎年、正月に「ファミリー釣り大会」も開催している。
島の伝統
毎年10月初旬に、西部の宇和間地区で「やっこ振り」と呼ばれる秋祭りが開催される。市の無形民俗文化財に指定されているこの祭りでは、やっこの衣装を身にまとった青少年たちが賑やかに練り歩く。その昔、菅原道真が九州へ配流される途中、海上で時化に遭い、難を避けるために宇和間に立ち寄った際、村人がその旅情を慰めるために行ったのが、祭りの起源と言われている。
また、南部の神浦地区にある西方山毘沙門堂(通称びしゃもん堂)は、忽那義範ゆかりの毘沙門天像を本尊としている。この本尊は普段は見ることができない秘仏であるが、4年に11度、開帳される。今年がその年に当たり、8月22日から24日にかけて一般公開される予定だ。
島で唯一の信号機
島内の道路は、どこも交通量が極めて少ない。そのようなのどかな島で、1ヵ所だけ信号機が設置されている。中島大浦地区の県立松山北高等学校中島分校近くの市道上だ。現場は、近くに大浦港やスーパーなどがあるものの、やはり交通量がそれほど多いわけではない。
市役所中島支所によると、「信号機は、交通量が多くて危険だからではなく、島の子供たちに交通ルールを学ばせる目的で設置している」とのこと。のどかな島ならではのエピソードだ。
島の課題
中島も他の離島と同様に高齢化と人口減少が進んでいる。かつて1万人以上いた島民は、3千人余りにまで減少し、高齢化率も50%を超えている。
また、主要産業であるかんきつ栽培も価格低迷や後継者不足が問題となっており、新品種の栽培や6次産業化の取り組みが進められているものの、かつての勢いは戻っていない。島では耕作放棄地が増加し、さらに近年はイノシシによる被害も深刻化しているそうだ。
前述の「輝け中島」は、そのような島の課題を解決するため、2011年に島民有志で結成された団体であり、婚活支援、耕作放棄地再生、子供のスポーツ振興を活動の柱としている。
婚活支援では、トライアスロン大会のボランティアやカラマンダリンの収穫作業を通して出会いの場を提供している。これらをきっかけに交際につながるケースも多く、島内の独身男性が女性と出会える貴重な機会になっているようだ。
同団体の笹野英樹理事長によると、「取り組みは、少しずつ成果が見え始めてはいるものの、どれもまだまだ緒に就いたばかり」とのことだ。問題の根本解決は容易ではないだろうが、島の活性化には少子化対策と産業振興は不可欠であり、今後もその活動に期待がかかる。
島の楽しみ方
島では、海岸線に沿って道路が整備されており、自転車でも約3時間で1周することができる。交通量が少なく自然豊かな島は、サイクリングやウォーキングに最適だろう。大浦港ではレンタサイクルも扱っており、観光客の足代わりに使うこともできる。
なお、三津浜港からのフェリーには別料金で自転車などの車両も積載可能だが、島内には大浦港を拠点に島を回るバス路線もあるため、高速船で訪れても観光を楽しむことができる。
中島の夏は、海水浴もよし。キャンプもよし。あるいはトライアスロンもよし。豊かな自然と水軍ロマン溢れる「みかんと太陽とトライアスロンの島」で熱いひと時を過ごしてみてはどうだろうか。
(宮下 和洋)
参考文献
「愛媛県史」 愛媛県史編さん委員会
「中島町誌」 中島町誌編集委員会
「瀬戸内の島々の生活文化(『ふるさと愛媛学』調査報告書)」
愛媛県教育委員会
「愛媛県の地名」 (株)平凡社
「SHIMADAS(シマダス)」 (財)日本離島センター