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西日本レポート

【高知県馬路村】全国唯一、重要文化財に指定された森林鉄道 ~高知県・魚梁瀬森林鉄道遺産~

2013.08.01 西日本レポート

全国唯一、重要文化財に指定された森林鉄道 ~高知県・魚梁瀬森林鉄道遺産~

かつて高知県東部・中芸地区にあった魚梁瀬やなせ森林鉄道は、日本の林業技術史上重要な遺産とされる。橋梁や隧道などの遺構は、森林鉄道としては全国唯一、国の重要文化財に指定されている。
今回は、魚梁瀬森林鉄道遺産の保存活動と、観光資源として活用する取り組みを紹介する。

日本一の多雨地帯で育つ魚梁瀬杉

高知県馬路村魚梁瀬地区は、太平洋からの湿った気流が四国山地に吹き付ける影響で雨が多く、2011年7月の台風6号の通過時には1日当たりの雨量で日本一(851.5mm)を記録した。
魚梁瀬は、平家の門脇中納言平教経たいらののりつねが落人となって隠遁したのが集落の起こりとされる。竹や木を並べて水を堰き止めて魚を捕らえる「やな」と呼ぶ仕掛けで川魚を捕り暮らしていたことから、後にこの地区が「やなせ」と名付けられたようである。
藩政時代になると良質な森林資源が注目され、明治以降の木材需要増大期には、樹齢200~300年の巨木が次々に伐り出された。魚梁瀬の杉林は、秋田、吉野と並んで三大杉美林の1つに数えられ、千本山付近では、今も僅かに残る高さ約50mの巨木を見ることができる。
馬路村の森林は、国有林が75%を占める。かつては2つの営林署によって国有林経営が行われ、馬路村は林業で繁栄した。しかし、国有林野事業の経営合理化で営林署はいずれも事務所へ格下げされ、職員・家族の転出が人口減少に拍車をかけ、村の人口は今年ついに1,000人を割り込んだ。

国内3番目の森林鉄道

魚梁瀬杉は、かつては河川流木で搬出されていたが、搬出量が増加し、流木では間に合わなくなった。そこで、1911年(明治44年)に安田川沿いの田野・馬路間に軌道を敷設し、国内3番目の森林鉄道として開通した。当初、搬出は重力を利用したトロッコで行い、山へ帰るときは、トロッコを犬や牛に引かせていた。
大正から昭和初期には、中芸地区5ヵ町村(奈半利町、田野町、安田町、北川村、馬路村)に軌道網が拡大し、蒸気機関車や内燃機関車(ガソリンやディーゼル動力)も導入された。
森林鉄道は、戦前から昭和30年代にかけて最盛期を迎えた。木材生産量が増加するにしたがって、人の往来も頻繁になり、生活物資だけでなくあらゆる文化を山奥まで運んだ。ただ、あくまでも木材輸送のため、「運行中に災害が生じても補償致しません」の乗車心得が駅構内に掲示されていて、乗客の安全は考慮しない乗り物だったらしい。

往時の本線の終着駅「石仙こくせん駅」 (高知市立市民図書館寺田正写真文庫所蔵)

往時の本線の終着駅「石仙こくせん駅」
(高知市立市民図書館寺田正写真文庫所蔵)

その後、1955年頃に魚梁瀬ダムの建設が決まり、森林鉄道の廃止も決定された。レールなどの撤去は奈半利川沿いの本線から始まり、1963年の魚梁瀬ダム完成とともに全線廃止、約半世紀の使命を終えた。

森林鉄道の復活

廃止後、レールや枕木などは撤去されたが、橋梁や隧道などは残され、生活道として再利用されたものもある。また、魚梁瀬丸山公園には、記念に野村式L69号というディーゼル機関車と運材台車(貨車)1組が保存された。
廃止から20年以上を経た1988年に転機が訪れる。営林署や森林鉄道のOB、村おこしメンバーなどが馬路村に集まり、「森林鉄道を語る会」が開催された。参加者から「機関車を動かしたい」「森林鉄道を復活させたい」という声が相次ぎ、当時の村長もこれに賛同した。保存されていた野村式機関車を南国市の機械メーカー(株)垣内で修理復元するとともに、谷村式機関車と2両の客車も新製復元した。そして、魚梁瀬丸山公園内に400mの周回軌道を敷設し、1991年5月に観光用として復活し、今も休日を中心に運行されている。

車庫で休む「野村式L69型機関車」

車庫で休む「野村式L69型機関車」

1994年には「馬路にも森林鉄道を」という声を受け、実物の3分の2に縮小したSL風のディーゼル機関車が馬路温泉前を走り始めた。翌1995年には、すぐ隣にインクライン(水力を利用したケーブルカー)も完成した。
その後、2005年には森林鉄道の保存活動の中核となる「中芸地区森林鉄道遺産を保存・活用する会」(以下、保存会)が発足し、中芸地区全体で森林鉄道を活用した地域振興が本格化した。

住民主体で遺産の調査と保存

2002年、文化庁と高知県は近代化遺産総合調査の一環で魚梁瀬森林鉄道を調査した。また、2008年には、保存会が独自調査を行い、その結果を「高知県中芸地区森林鉄道遺産調査報告書」に取りまとめた。主要な遺構は、保存状態が良く所有者もはっきりしていた。
専門家からの評価も得て、2009年には隧道などが経済産業省の近代化産業遺産群に認定された。さらに同年、橋梁や隧道など18ヵ所の貴重な土木建造物が国の重要文化財に指定された。森林鉄道としては初の重要文化財指定である。

支線ルートの解明

保存会メンバーらは、2010~11年度に支線の詳しい調査を行って新たに35路線のルートを特定し、軌道跡や5ヵ所の隧道、10ヵ所の橋梁なども見つけ、地図を作成した。
保存会会長の清岡博基氏によると、「総延長は本線80㎞と支線150㎞の約230㎞とされていたが、支線だけで230~240㎞、全体で300㎞を超える」とのこと。営林署OBや森林鉄道関係者の記憶を基に山に入ると、記録に残っていなかった支線の軌道跡が見つかったこともあるそうだ。

安田川線の遺構

森林鉄道の遺構は、道路に転用されているものも多く、訪れるためのアクセスは良い。
安田川沿いにあった安田川線の遺構を上流に辿ると、エヤ隧道やバンダ島隧道、オオムカエ隧道といったユニークな名前の隧道が見られ、その先には安田川の渓谷に架かる赤いトラス橋、明神口橋が現れる。
馬路村に入ると、馬路村ふるさとセンター「まかいちょって家」の近くに石積みの坑口の五味隧道が見える。五味隧道付近の廃線跡には、“森林鉄道の村”のシンボルとしてレールが再敷設されていて、今にも列車が走って来そうな雰囲気を醸し出している。
道路の一部として利用されている河口隧道こうぐちずいどう犬吠橋いぬぼうばしを見ながら魚梁瀬地区に入るが、鉄道はもちろん集落全体がダム湖に水没したため、丸山公園の復元鉄道のほかに面影はない。ただ、千本山へ向かう道路脇には、軌道跡や石積みが確認できた。森の中には草木に埋もれた多くの支線もあるのだろう。

村道の一部となっている「河口隧道」

村道の一部となっている「河口隧道」

奈半利川線の遺構

太平洋沿岸の田野町や奈半利町では、田畑の中や市街 地でも高架橋や築堤などの奈半利川線の遺構を見ることができる。立岡たておか二号桟道さんどうの遺構付近の風景は「いかにも廃線跡」である。神社や寺の参道に架けられた跨線橋は、今も利用されている。

盛り土とコンクリート橋が残る「立岡二号桟道」

盛り土とコンクリート橋が残る「立岡二号桟道」

北川村に入ると、現存する森林鉄道施設の中で最も大きな遺構である、橋長143mの赤い鉄橋、小島橋がある。また、二股橋ふたまたばし堀ヶ生橋ほりがをはしは近代のコンクリート造の橋としては最大級で、二股橋は二連アーチ橋と橋台の石積みが美しく、堀ヶ生橋は橋の中央部に待避所がある特徴的な構造をしている。

森林鉄道最大の遺構「小島橋」

森林鉄道最大の遺構「小島橋」

産業観光ブームと鉄道ブーム

昨今の産業観光ブームと鉄道ブームで、魚梁瀬森林鉄道を訪れる人が増え、2011年度には、馬路村の観光ガイドが案内した人数だけでも県外からのツアー客などが2,000人を超えた。
昨年12月には、人気アイドルグループ「嵐」のメンバーが林業や森林鉄道を紹介するテレビ番組が放送された。放送後には、魚梁瀬丸山公園の来園者が前年の3倍ペースで急増したそうだ。森林鉄道の運転士を務める井上洸士郎氏は、「若い女性が、遠路はるばる森林鉄道に乗りに来るようになった。魚梁瀬杉で作った切符を買い求めに来る人も多い」と笑顔で話す。
また、昨年は、レール幅の狭い森林鉄道や鉱山鉄道などの遺産を使って地域おこしに取り組む団体などが魚梁瀬に集まり、活用策を探る「全国せまい線路サミット」や、隧道でのジャズコンサートなども開催された。
保存会のメンバー43名の中には、地元以外に東京在住の鉄道ファンもいるそうだ。魚梁瀬森林鉄道の交流の輪は全国に広がっている。

地元産材で建てられた丸山公園の駅舎

地元産材で建てられた丸山公園の駅舎

おわりに

地域づくり先進地と言われる馬路村だけあって、森林鉄道の遺産の保存・活用にも住民が主体的に取り組み、それが文化財指定や観光資源化につながったと感じた。貴重な地域資源を活かした地域活性化と保存会のさらなる発展に期待がかかる。
巨木の森や森林鉄道の遺産を訪ねて林業の往時をしのび、「ゆず加工場」でゆず加工品の製造ラインを見学し、温泉でのんびり過ごす。いろいろと楽しめる魚梁瀬や中芸地区を一度訪れてみてはどうだろうか。

参考文献・参考資料
「広報うまじ」馬路村教育委員会
魚梁瀬森林鉄道遺産Webミュージアム
舛本成行(2001):『魚梁瀬森林鉄道』RM LIBRARY29、ネコ・パブリッシング

(新藤 博之)

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