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愛媛の島

弓削島(上島町)

2014.11.01 愛媛の島

タイトル

愛媛の島シリーズ第12回は、瀬戸内海のほぼ中央に浮かぶ、歴史と自然が共生する島、弓削島を紹介する。

 

自然と歴史

高台から周りを見渡すと、美しい景色が広がった。名勝・法王ヶ原ほうおうがはらの青松、白い砂浜、青い海、弓削大橋、目の前には弓削島のランドマークである石灰山せっかいやま。取材に訪れた日は台風一過で、空も抜けるように青かった。
弓削の歴史は古く、島内からは旧石器時代後期のナイフ型石器などが発見されている。また、今から1700年前~1300年前の古墳時代には組織的な製塩が行われていたことが最近の研究で明らかになるなど、歴史的ロマンにもあふれている。

画像:高台からの眺め

高台からの眺め

 

弓削島は島の形が湾曲に富み、櫛の形に似ている。そこから昔は「くし島」と呼ばれていたそうで、今でも久司くしやま久司くしうらなどの地名が残っている。弓削島と呼ばれるようになったのは平安時代からで、物部氏の一族だった弓削部の人々が移住したことに由来しているという説がある。

 

船乗りの島

弓削は昔から船乗りの島として知られている。明治以降は船員として出稼ぎが盛んになり、島外に出て活躍し成功した弓削島民に憧れ、船乗りを目指す青年が増えたと言う。明治34年(1901年)の弓削村出身の海員は735人に達し、甲種船長免状の第一号から第十号までの半数は弓削村出身者であったと伝えられている。その後、外航の拡張に伴って専門的な海員養成機関設置の必要性が痛感されるようになり、海員学校(現弓削商船高等専門学校)が設立されるに至った。
そんな経緯で設立された弓削商船高等専門学校(以下、弓削商船高専)の商船学科には、昔と変わらず、海で働くことを夢見る若者が全国各地から集まってくる。航海士や機関士を目指す商船学科は卒業までに5年半かかる。

画像:練習船実習の様子

練習船実習の様子

 

船員不足が叫ばれる昨今、海技士の資格を持つ人材はひっぱりだこではあるが、人手不足ゆえに航海士や機関士一人ひとりの負担が増えていると言う。昔は船さえ動かせればよかったが、今は通信士や医者が乗船することが少なくなったこともあり、航海士が無線の資格や医療技術も身に付けなくてはならなくなっている。
さらに、特に学生の多くが憧れる外航船(国際航 海に従事する船舶)の航海士や機関士になるためには、より上位の海技士資格が必要なだけでなく、英語力やリーダーシップなど、プラスαの能力も問われるため、狭き門なのだそうだ。
それでも弓削商船高専の海上への就職率は非常に高く、毎年、商船学科の卒業生の約8割(うち外航は1割)が海へと漕ぎ出している。

 

塩の荘園「弓削島荘」

弓削島では、古墳時代から塩づくりが行われていた。平安時代以降は、瀬戸内海有数の製塩地として京都の荘園領主に塩を送り続けたことから、「弓削島荘」は塩の荘園として知られるようになった。
弓削島荘については、荘園領主であった東寺に伝わる国宝「東寺百合文書とうじひゃくごうもんじょ」という古文書のなかに多くの記述が見られる。
しかし、塩の専売化や近代製塩法の確立に伴い、昭和の中頃までに日本各地にあった塩田が消失したのと同様、弓削島における塩づくりも姿を消してしまっていた。
そこで、弓削島における歴史ある塩づくりを復活させ、後世に伝えていこうと、1999年に「弓削塩文化を伝える会」が発足した。現在は特定非営利活動法人「弓削の荘」が、古代の製法を再現した塩づくり体験を実施するなど様々な取り組みを行っている。
塩づくり体験は盛況で、特に子供に人気だと言う。現在作っている塩は、普通の白い塩のほか、あまも(海草)塩、ひじき塩、紅塩の4種類である。今年は夏休みシーズンに、北は北海道、南は九州まで、多くの家族連れやグループが弓削島を訪れたそうだ。
そんななか、今年6月に、「東寺百合文書」が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の定める、重要な歴史文書の保存を目的とする記憶遺産の登録候補として選ばれた。記憶遺産になれば島の歴史にも注目が集まる、と登録への期待が高まっている。

画像:4種類の塩

4種類の塩

 

弓削の風景美

瀬戸内海国立公園区域に位置する弓削島の多島海の風景美については冒頭で少し述べたが、それぞれの見どころについて改めて説明しよう。

(1)名勝・法王ヶ原

弓削島の代表的な観光地としては、県の名勝地に 指定されている法王ヶ原が挙げられる。燧灘ひうちなだに望む白砂青松の海岸で、今治藩主が弓削神社の防風林として植えたと伝えられる数百本のクロマツが群生している。海から吹く風が心地よく、夏には大勢のキャンプ客でにぎわう。

画像:名勝・法王ヶ原

名勝・法王ヶ原

高台から見える砂浜は松原海水浴場である。穏やかな波と白砂の美しい浜が印象的なこの海水浴場は、環境省の「快水浴場百選」に選定されている。

(2)石灰山

弓削島のランドマークである石灰山にも長い歴史がある。
江戸時代には石灰鉱山として利用され、明治後期からは、別子銅山の銅を製錬する四阪島しさかじま製錬所に石灰石を納入するなど、1972年に閉山するまで、約150年の長きにわたり、石灰業は弓削最大の地場産業であった。現在は、東予地域に点在する貴重な別子銅山産業遺産のひとつとなっており、弓削島のシンボルとして地元住民に親しまれている。

画像:石灰山

石灰山

(3)弓削大橋

弓削大橋は1996年3月に完成した、弓削島と佐島をつなぐ全長980mの斜張橋である。歩道と自転車道が設けられており、橋の下を通る船や遠くの島々を見渡すことができる絶好のビューポイントとなっている。近くには弓削大橋記念公園があり、春は満開の桜を楽しむことができる。

画像:弓削大橋

弓削大橋

 

香りと癒しの島

弓削島には、「しまの大学」がある。もちろん普通の大学というわけではなく、地域の人たちの抱える困りごとや夢を、地域内外の人や企業と協力して 解決・実現するための地域活性化プロジェクトのことだ。「地域の中の人も外の人も、お互いがお互いを先生にして学び合ったり、地域を教材として一緒に研究したり、チャレンジしたりという場にしていこう」との思いから、「しまの大学」という名前に決まったそうだ。
しまの大学が現在取り組んでいるのが、高齢化が進んでいる、仕事がない、といった島の課題を、「香りと癒しの島」というテーマのもと、解決していこうというものだ。
その一環として、数年前から芳香性の高いコブミカンの栽培を始めた。コブミカンはライムの一種で、葉はタイ料理に欠かせないスパイスである。この葉を刻んで練り込んだじゃこ天の商品化が進んでおり、去る9月28日に行われた、上島町合併10周年記念イベントでも試作品として販売されるなど、実績を挙げている。

画像:コブミカンじゃこ天

コブミカンじゃこ天

 

おわりに

自然と歴史が共生する弓削島は、元気な人々に支えられた、活気にあふれた島であった。
今回紹介できたのは弓削島の一端に過ぎないが、美しい景色を楽しむもよし、長い歴史を感じるもよし、元気な人々に出会うもよし。
魅力のたくさんつまった弓削島に、ぜひ一度足を運んでみてはいかがだろうか。

(加藤 あすか)

参考文献
・「SHIMADAS」公益財団法人日本離島センター
・愛媛県史 地誌Ⅱ 県史編纂委員会編

弓削島データ

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