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西日本レポート

【三重県多気町】高校生の活躍をきっかけに、町全体で生み出す「地域資源活用ビジネス」 ~三重県多気町における産官学連携のまちづくり~

2014.12.01 西日本レポート

高校生の活躍をきっかけに、町全体で生み出す「地域資源活用ビジネス」 ~三重県多気町における産官学連携のまちづくり~

「2名様ご案内します!」「いらっしゃいませ!」「オーダー通ります!『花御膳』2つお願いします!」
午前10時45分の開店とともに、元気で爽やかな声が、店内いっぱいに響きわたる。週末にはいつも順番待ちの客であふれる、町自慢の繁盛店だ。
三重県松阪市に隣接した、人口1万5,000人余りの静かな山あいのまち、多気郡多気町。ここに、県立相可(おうか)高校調理クラブの生徒が、土・日・祝日限定で営業するレストラン、「まごの店」がある。2011年に放映されたテレビドラマ『高校生レストラン』のモデルとして、一躍全国にその名が知られ、3年以上経つ今でも客足は絶えない。
実は、この町の高校生が関わる“ビジネス”は、「レストラン」だけではない。地元企業と共同で企画・開発に取り組んだ「コスメ商品」は、これまでにシリーズ7点が商品化され、海外にも輸出されている。
今回は、高校生の活躍を基に、地元企業・役場・学校・地域が連携して、新たなビジネス創出に取り組む、多気町のまちづくりについて紹介する。

高校生レストランができるまで

多気町は、古くから、米・みかん・柿・伊勢いも・伊勢茶・肉牛など、多角的な農業を中心に 発展してきた地域である。2002年2月、そんな町の農業振興策の一環で企画された試食会のイベントを通して、当時、農林商工課の職員であった岸川政之氏 と、相可高校食物調理科の村林新吾教諭が出会った。
以前から村林教諭には、「授業では教えられない『接客』と『コスト管理』を生徒に学ばせた い」という熱い想いがあった。試食品を作った生徒の実力に惚れ込んだ岸川氏は、「店をやったらどうか」と提案。これがきっかけとなって、同年10月、農産 物直売施設「おばあちゃんの店」の前に、屋台のような造りの小さな調理実習施設ができた。そして、“おばあちゃん”にとって、高校生は“まご”のような存 在であることから、「まごの店」と命名されたのである。
「まごの店」は、「おばあちゃんの店」の地元食材を使ったメニューや、一生懸命働く生徒 の姿がたびたびメディアで取り上げられ、話題となった。しかし、店が賑わうとともに、調理場が狭くて料理の腕がふるえないことや、客席が外にあるため快適 ではないことなど、設備上の問題が浮上してきた。
2003年6月、「まごの店」の活動が評価され、高度な技術教育を進める学校を支援する「目指 せスペシャリスト事業」(文部科学省)の指定校に、相可高校が選ばれた。すると、これが契機となって、「町全体で高校生の“夢”を応援しよう!」という ムードが高まり、本格的なレストランの建設に向けて、約9,000万円をかけた多気町の取り組みがスタートした。
こうして、2005年2月、新「まごの店」が誕生した。

町と地域が応援する夢のレストラン

レストランは町の施設であるが、調理はもちろん、仕入れから仕込み、接客、経理まで、全ての運営は調理クラブの約50名に任されている。
厨房と客席フロアの間には壁がなく、調理の様子がよく見える。また、入口と店内に設置されたモニターには、厨房の花形である天ぷら担当者がアップで映し出され、その緊張感は客席まで伝わってくるようだ。
真剣な眼差しの接客担当者の動きは一切の迷いがなく、店全体をテキパキと取りしきる。プロ級の料理の味に加え、そんな高校生たちの働きぶりに圧倒された。
「高校生だけでここまでできるのか」という驚きに、部長を務める3年生の松田昌也君は、自信に満ちた笑顔で答えてくれた。「自分たちだけでできるように、 先生に教わっています。ここは、僕たちのレストランですから。今の僕たちがあるのは、本当に、このレストランと村林先生のおかげなんです」。
当初から彼らを見守ってきた同科の奥田清子教諭は、「料理が好きなんです。だから努力する。厳しい声を受けることもありますが、情熱を持って指導する村林のもと、“プロ”として働く意味とその喜びを感じながら、それぞれの夢に向かって進んでいます」と話す。

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長期休暇には、帰省した家族や友人らを連れて訪れる人も多いと言う。地域の大人が、高校生の夢に直接触れ、その頑張りを応援し、誇りに感じている。その想いが、彼らをますますやる気にさせるのだ。
「高校生レストラン」は、技と心を鍛える修行の場であるとともに、彼らが目指す未来に通じる、社会との接点になっている。

卒業生のための「せんぱいの店」

「まごの店」出身者の進路は、その高い技術と経験をもとに、主に県内外の料亭やレストラン、食品関連企業への就職であるが、中には地元に残ることを希望したり、地元に帰ってきたりするケースもあるそうだ。
そんな卒業生の雇用の受け皿とすることを目的に、2008年9月、町民組織「まちづくり仕掛け人塾」が中心となって、相可高校と多気町の協力のもと、 (株)相可フードネットが設立された。そして、大型ショッピングセンター内に、地元食材を使った弁当や惣菜を提供する「せんぱいの店」1号店がオープン。 現在は5号店まで増え、事業は拡大している。
「まごの店」出身の若い店長は、「悩んだり、新しいメニューを決めたりするときには、今でも学校に戻って村林先生に相談するんです」と笑う。

高校生が化粧品をプロデュース

レストランでの高校生の活躍は、多気町の企業・役場・学校・地域の中に、「何かを生み出そう」という前向きなエネルギーを作り出している。
2010年5月、生産経済科の生徒が、地元の万協製薬㈱と共同で、「まごころteaハンドジェル(通称:まごジェル)」を開発した。多気町の農産物を成分 に入れることを条件に、生徒がコンセプト、デザイン、ネーミング、成分配合を提案して、同社が製品化したのだ。高校生発、地域ブランド新商品の誕生だっ た。
このプロジェクトの背景には、もともと生産経済科内に設立されていた、全国初の高校生だけのNPO法人「植える美ing」による、地域における園芸福祉活動の取り組みがある。
きっかけを作ったのは、レストランと同じく、岸川氏だ。メンバーに「ハンドクリームを作ってみないか」と持ちかけたところ、彼らは迷わず、「やりたい!」と答えたと言う。

まごころシリーズ商品

まごころシリーズ商品

「まごジェル」は、彼らの“せんぱい“である(株)相可フードネットが発売元となり、事業経費や販売責任まで、全面的にバックアップしている。生徒自身も東京や名古屋で営業活動を行い、その利益の一部は「植える美ing」の活動に役立てられている。
さらに、その趣旨に賛同した、「メンターム」で有名な㈱近江兄弟社からも声がかかり、コラボブランドとして立ち上がっている。現在、リップ、日焼け止め、化粧水などの全7点を「まごころシリーズ」として展開し、台湾でも発売されるなど、広がりをみせている。

「多気町」まちづくりの“仕掛け人”

「まごの店」「まごジェル」の生みの親である岸川氏は、多気町における産官学連携のキー パーソンである。現在の肩書きは、「多気町まちの宝創造特命監」。自身で「まちづくり仕掛人塾」を立ち上げ、これまで多くのプロジェクトを実現し、成功さ せてきた「カリスマ公務員」だ。講演活動は年に100回を超え、珍しいビジネスモデルを「真似しよう」と、全国各地の視察団が岸川氏のもとを訪れている。
とは言え、本人いわく、「自分はあくまでサポーター。まちづくりの根本にあるのは『人とのつながり』で、いつも『何か情熱を持った人』との出会いから始まる」。
「すごい技術と夢を持ったすごい生徒がいて、そんな彼らを指導している素晴らしい先生がいることに、感動したんです。私はそんな彼らに向けて、旗を振り、 『頑張れー!もっと上がって行けー!』と、下で見ながら応援したかった。みんなが輝けるステージ、活躍できる場所を創りたかったんです。ただ最近は、彼ら があまりに輝きすぎて、その光で、隠れていた私まで表に出てきてしまいました」。
順調に成功の一途をたどって来たように思える岸川氏の仕掛けだが、始める前の世間の評価は、いつも白でも黒でもない“グレー”。ほとんどが前例のない挑戦ばかりだからだ。
高校生レストランにも、数々の困難があった。事故や食中毒のリスク。税金を使って建てた施設を、毎日利用しないことに対する批判。そもそも、相可高校は県立であるため、多気町の管轄外だった。
しかし岸川氏は、何かにぶつかるたびに、「できない理由」ではなく、「できる方法」を見つけようと、徹底的に頭を悩ませ、知恵を絞ってきた。どんな困難が あっても、決心が揺れることはない。なぜなら、岸川氏には、夢が実現して嬉しそうにする子どもたちの顔が、いつも想像できているからだ。「それが軸にある 限り、私はまちづくりをやめません」と言い切る。

“まちの宝”を創る

岸川氏の使命は、その肩書きどおり、「まちの宝を創る」ことだ。地域にある宝を掘り出し、 まちづくりに結び付ける。イメージとしては、町にある地域資源(人・モノ・歴史・文化)を1つひとつ手に取って、自分の手で磨いて、いろいろなものとくっ 付けたりしながら、それを「宝」にする作業をやっているのだそうだ。
それは、ゼロから何かを始めたり、創ったりする ことではない。ないものは探さない。昔からずっとこの町にあったものを見つけて、外の誰かや助成金などに頼らず、自分たちができるやり方でつなげていく。 この町に既にあったものなのだから、経費は安くつくし、歴史的にも根付く可能性は高いはずだ。視点を変えれば、町にはまだまだ素晴らしい宝が眠っている。
岸川氏は、決して「レストラン」や「化粧品づくり」がやりたかったわけではない。たまたま、この町の宝である高校生と情熱を持った先生に出会い、彼らは高 い技術を持っていた。町には農産物が豊富にあり、場所もあった。「この子たちが輝くためには、何が一番いいだろう」と考えると、それが「商売」だっただけ だ。

多気町まちの宝創造特命監 岸川政之 氏

多気町まちの宝創造特命監 岸川政之 氏

「私には、ほかにもやりたいことがたくさんあるんです」と、穏やかな中にも熱い口調で語る 岸川氏。実は、「銀行」と「大学」という2つの新たなステージへ“転職”の決断をし、来春には役場を早期退職することが決まっている。既に日本各地の企 業、行政、学校と連携したプロジェクトを多く始めているが、名実ともに「産官学」の立場に立ち、活躍の場はさらに広がっていくことだろう。
「町のみんなが輝くステージを創る」という岸川氏の夢は、今後、どんな人とモノとがつながり、新しい「まちの宝」へと生まれ変わって、実現していくのだろうか。

若者の活躍が地域の力になる

人口減少や少子高齢化は、今や日本全体の問題であるが、小さな町にとっては、なおさら事態は深刻だ。そんな町の運命を左右する、生き残りの大きな カギを握っているのが、「この町に住んでよかった」「この町が誇らしい」と思える若者の存在である。企業や行政との連携のもと、若者が中心となって、地域資源を最大限に生かしたビジネスで、町全体を盛り上げていく。
どこの町にも、必ず「まちの宝」がある。そして、自分の町の宝探しは、他の誰でもない、自分たちにこそできることなのだ。「地域の問題を地域で解決していく」多気町の取り組みは、あらためてそんなことを教えてくれた。
「夢無限大!」というキャッチフレーズそのまま、目を輝かせながら夢を語る高校生とその先輩たち。そして、そんな彼らを応援し、感動し、刺激を受けて、共 に何かを生み出そうとする企業や行政、学校、地域の人々。多気町には、“ふるさと”がつながり、支え合い、進化し続ける、新しいまちづくりの形があった。

(渡邊 晶子)

 

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