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知る人ぞ知る愛媛の観光地

【西予市宇和町編】歴史と文化の里「宇和町かるた」をたどる旅

2016.07.01 知る人ぞ知る愛媛の観光地

西予市宇和町(旧東宇和郡宇和町)

西予市宇和町(旧東宇和郡宇和町)は、北は八幡浜市や大洲市、南は宇和島市に接し、肱川上流部の宇和盆地とそれを取り巻く山間部からなる。2004年4月に、明浜町、野村町、城川町、三瓶町の4町と合併し「西予市」となった。
宇和町は、江戸時代を通して宇和島藩の宿場町として栄え、申義堂しんぎどうや開明学校、二宮敬作にのみやけいさく高野長英たかのちょうえいの足跡など幕末から明治にかけての文化遺産も多く残っている。今回は、宇和町民に親しまれてきた「宇和町かるた」をたどりながら、歴史と文化の里・西予市宇和町の魅力を紹介する。

卯之町の町並み

歴史と文化に浸る

卯之町の町並み

JR卯之町駅より徒歩7分、西予市宇和町の中心に位置する「卯之町の町並み」には、江戸中期から昭和初期の商家や町家が立ち並ぶ。白壁やうだつ、半蔀はじとみ、出格子など伝統的な建築様式が残っており、2009年に全国で86番目の国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。二宮敬作や楠本くすもとイネらも往来した、風情ある町並みが残る。

宇和先哲記念館

卯之町の町並みや歴史的建造物を散策する際に、まず立ち寄りたい場所が「宇和先哲記念館」である。「先哲せんてつ」とは、歴史にかかわる偉人、賢人を表す言葉で、この記念館には宇和町にゆかりのある人物の業績や人物像を示す資料が展示されている。予約すればガイドによる町並みの案内もある。

宇和先哲記念館

蘭学者・医学者 「二宮 敬作」

宇和町ゆかりの偉人と言えば「二宮敬作」(1804~1862)である。江戸末期の1804年、八幡浜市保内町に生まれ、15歳の時に医師を志し長崎に渡る。オランダ商館付きの医師であったシーボルトの私塾「鳴滝なるたき塾」に入門し、西洋医学を学んだ。1828年のシーボルト事件※1で長崎を追われ1830年に帰郷、1833年に宇和島藩主の命により卯之町に居を移し開業した。
高名な敬作を慕って、多くの俊才がこの地に集まった。シーボルトの娘で日本初の女医「楠本イネ」、シーボルトの門下生で蘭学者の「高野長英※2」などである。卯之町の町並みの各所にその足跡が残る。

※1 シーボルトがオランダに帰国する際、伊能忠敬の日本地図など多くの禁制品を持ち帰ろうとしたことが発覚した事件。これによりシーボルトは日本から追放された。この時、門下生であった二宮敬作も処罰され、半年の入獄後、江戸を追われ、長崎からも追放された。

※2 1837年、浦賀沖で米国モリソン号を幕府が砲撃。幕府を批判する書物を書いたとして投獄されるが逃亡し、二宮敬作を頼って卯之町を訪れた。

蘭学者・医学者 「二宮 敬作」

国の重要文化財 旧開明学校校舎

「旧開明学校校舎」は、1882年(明治15年)に建てられた西日本最古級の学校建築である。日本の伝統的な木造建築のなかに洋風のアーチ型の窓やドイツ製のガラスを取り入れたモダンな校舎である。1987年(昭和62年)に長野県にある国の重要文化財「旧開智学校校舎」と姉妹館提携が結ばれ、1997年(平成9年)に国の重要文化財に指定された。館内には、明治時代を中心に昭和前期までの教科書等、教育資料約6,000点が収蔵・展示されているほか、当時の掛図を使った「明治の授業体験」(※要予約)も行われている。
また、敷地内には、開明学校の前身となった「申義堂」がある。1869年(明治2年)に、左氏珠山さししゅざん(1829~1896)の弟子や町民によって建てられた私塾である。左氏珠山は、“宇和教学の灯火をともした人”と言われ、夏目漱石の小説「坊っちゃん」の漢文の先生のモデルとしても知られている。

国の重要文化財 旧開明学校校舎

 

【コラム】宇和町かるた

「宇和町かるた」は、宇和町に住む人が、また宇和町を離れた人が、この町に心を寄せる“よすが”として、1979年に宇和町教育委員会によって作られた。読み札の文は広く町民から募集し、絵札は宇和中学校の生徒が描いた。
現在は、残念ながら「宇和町かるた」の製作はされていないが、今でも「宇和町かるた」の大会が開かれるなど、かるた文化が根付いており、かるたを通して、子どもたちは故郷の理解を深めている。

かるた大会の様子(写真提供:西予市)

 

宇和民具館

開明学校の向かいにある「宇和民具館」には、江戸末期から昭和初期にかけて、実際に町で使用された民具約6,000点が収蔵・展示されている。今では使われなくなった商売道具や生活用具が展示されており、祭りや暮らし、商いなどに関する昔の人々の知恵や想いを感じることができる。

宇和民具館

 

文化の里休憩所

卯之町の町並みにある古い民家を復元した「文化の里休憩所」では、土産物の販売や観光客へのお茶のお接待を行っており、誰でも気軽に立ち寄れる。着物の着付け体験もあり、100着以上ある着物のなかから1着を選ぶことができる(※要予約)。着物を着て、古き良き日本の情緒を満喫してみてはいかがだろうか。
ほかにも、1770年に建てられた市指定文化財の「末光家住宅」(末光千代太郎の旧宅)や、幕末・維新を飾る人物が宿泊し、江戸時代から継承される、ぬか床で漬けた漬物を提供する「松屋旅館」など、歴史ある建物が並ぶ。また、老舗の醤油醸造所や、築後約200年の酒蔵を改装した喫茶ギャラリーなどもあり、落ち着いた雰囲気のなか、歴史や文化にじっくりと浸ることができる。

文化の里休憩所

 

自然に癒される

名水百選 観音かんのん

松山道西予宇和ICから車で約15分、宇和町明間あかんまに全国名水百選に選ばれた「観音水」がある。観音水の名は、永禄年間に湧出口近くに観音像を安置したことに由来するそうだ。石灰岩が溶食してできた鍾乳洞からの湧水で、水量は日量約8,000トン、水質は弱アルカリで、四季を通じて水温は14度である。夏場でもひんやりと涼しく幽玄の世界が広がり、水くみやそうめん流しに遠方から訪れる人も多い。
※そうめん流し「名水亭」営業期間:2016/4/29~9/10

観音水

標高436mからの眺望 法華津ほけづ

国道56号線法華津トンネルが通る山の上にある「法華津峠」は標高436m、展望台からは宇和海の島々やリアス式海岸、佐田岬が見える絶景で、足摺宇和海国立公園に指定されている。晴れた日には九州まで一望することができる。松山道西予宇和ICを降りて約5キロ、法華津峠までの道のりは細い一車線の山道が続くためたどり着くには苦労するが、展望台から見える景色は、その苦労が吹き飛ぶくらい美しい。

法華津峠からの眺め

 

札所を巡る

四国霊場第43番札所 明石寺めいせきじ

「あげいしさん」の名で地元の人々から親しまれている四国霊場第43番札所の「明石寺」は、1年を通してお遍路さんで賑わう古刹である。6世紀前半、欽明天皇の勅命により、千手観音菩薩像をまつるために建立し、開創したのが起源とされる。弘法大師が修行したとされる「弘法井戸」や「しあわせ観音」などの見どころも多い。

明石寺

 

新四国曼荼羅霊場第53番札所 山田薬師やまだやくし

西予市三瓶町方面に向かう、宇和町西山田にある「山田薬師(善福寺)」は、一畑いちばた薬師(出雲市)と永勝寺(久留米市)と並び、「日本三大薬師」と称される。境内にある大岩は、1963年の大雨により落下し、大師堂を押しつぶしたが、堂内にあった大師像は奇跡的にも無事だったそうだ。毎年春には花祭りが行われ、大勢の人でにぎわう。

山田薬師(大雨で落石した岩)

 

イベントを楽しむ

西予市宇和町では、10月2日(日)に「雑巾がけレースZ-1グランプリ inせいよ」が開催される。全長109mの長い廊下を持つ宇和米博物館を会場に、毎年開催されるイベントで、県内外から多くの参加者が名を連ね、白熱した戦いが繰り広げられる。イベントに限らず、宇和米博物館は土日祝に開館しており、「雑巾がけ体験」(※10名以上要予約)を行うこともできる。

宇和米博物館(写真提供:宇和先哲記念館)

 

おわりに

歴史ある卯之町の町並みを歩きながら、のんびり散策すると、幕末から文明開化の時代に生きた人々の力強い息吹を感じることができた。ちなみに、宇和先哲記念館では、今秋から「末光いさお」の特別展を開催する。末光績は、伊予銀行2代目頭取・末光千代太郎の伯父で、文豪有島武郎とも大変縁が深い人物だそうだ。
宇和町かるたは西予市民図書館のホームページで紹介されている。かるたの読み札をたどりながら西予市宇和町を旅してみてはいかがだろうか。

(菊地 麻紀)

参考文献
・西予市観光協会ホームページ
・宇和町かるた(宇和町教育委員会)
・卯の町お散歩絵図(西予市)
・卯之町町並み絵図(西予市)
・宇和先哲記念館内資料

調査月報「IRC Monthly」
2016年7月号 掲載

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